今から14年前の今日は、ボクの人生の大きなターニングポイントになった日。
長男・泰久が、この世に誕生してきた日です!!
ということで、ボク自身も親父歴14年目を迎えることになりました!!
先生 その684
彼の人生にとって、一番大きな試練は、初めて兄弟が生まれる時でした。
当時彼はまだ2歳になったばかりで、僕ら夫婦と3人で生活してました。
お母さんと一緒に、二人で過ごすのが当たり前の日々を過ごしていた時に、お母さんと最低一週間は離れ離れになってしまうのです。
まだ保育園にも幼稚園にも行ってない頃だったので、日中は実家でボクのお袋が預かってくれることになっていましたが、問題は夜です。
「やっくん、おばあちゃんとお泊りするのと、お父さんとお泊りするのと、どっちがいい?」
彼は「お父さんと一緒がいい」と即答したため、ボクと泰久の「クレイマー・クレイマー」のような生活がスタートしました。
朝は出勤する前に実家に行って、お袋が用意してくれた朝食を食べ、着替えをさせます。
日中はお袋が世話をしてくれてますが、仕事が終わると実家に引き取りに行き、その足でお母さんが入院している病院へ
お母さんと弟に会った後は、自分たちの家に戻って晩御飯、お風呂、そして絵本を読みながら寝かせて、洗濯機を回すという日々でした。
仕事で遅くなった日は、迎えに行くのも遅くなるし、当然お母さんにも会わせることができません。
それでも彼は、一度も甘えて泣きだすようなことがありませんでした。
「ボクはおにいちゃん。さびしくなんかない!!」という意識が、彼の中で芽生えていたのでしょう。
その後、自我が芽生え始める小学校1年生の時に妹が生まれ、反抗期を迎える今、二人目の妹が生まれて、彼には我慢をさせっぱなしでした。
でも、彼にとっては、弟や妹に限らず、自分より幼い、あるいは弱い立場の人を思いやるのは、呼吸をするのと同じくらいに当たり前のことのようです。
先日、一緒に南三陸へ行った帰りも、SAでお土産を選ぶ時も、弟や妹が喜びそうなものを選ぼうと、一生懸命に考えてくれていました。
「親父が頼りないから(笑)」という話もありますが、弟や妹の面倒を見続けてきたことが、彼の寛容な心を育んでくれたような気がします。
自分の遺伝子を受け継ぐ人が、「日本一のお兄ちゃん」に育っている奇跡に感謝!!
いつかボクがこの世を去る時に、「親父の息子に生まれてよかった」と思われるように、ボクも負けずに成長し続けていきます!!