震災後のドタバタの中で、先週の土曜日は祖母の七回忌でした。
法事では久々に叔父叔母、そして従兄弟たちが大集合。
最年長のボクにとっては、みんな弟そして妹のような存在です。
先生 その470
父方のいとこは全部で6人いるのですが、特に仲良くさせてもらっているのが、4つ年下の弟分ヒデと、6つ年下の妹分晃子の二人です。
この二人に共通するのは、子どものころと今の性格が真逆であること。
大人しくて人みしりが激しく、5,6歳まではお母さんの後ろに隠れちゃうような子どもだったのですが、今は二人とも明るくて社交的な大人に成長しました。
ヒデは職場の宴会部長であり、晃子はクライアントのオジさんたちに大人気!!
彼らを見ていると「三つ子の魂百まで」なんてことわざは、あてにならんなと思います。
そしてこの二人との思い出で忘れられないのは、祖母さんの臨終の時です。
その日は、ボクとヒデが泊りこみで付き添うことになっていたのですが、そこに見舞いに来た晃子も巻き込んで、思い出話で盛り上がっていました。
「子どものころは、夏休みや正月になると、みんな家に泊りにきて、色々と遊んだっけなぁ」
それは何だか、すごく懐かしい時間が戻ったような感覚でした。
その時、祖母さんの容体が急変したのです。
お医者さん看護師さんを呼んで蘇生を試みてもらったのですが、そのまま心肺停止状態になり、祖母さんは天国へと旅立ちました。
皮肉にも、一番世話をしてきた母や叔母たちがいない夜、祖母さんを見送ったのはほとんど見舞いに来なかった孫たちだったのです。
そのことについて、お通夜の前の晩に、おふくろはこう語ってくれました。
「前の晩も、お祖母ちゃんの容体が悪くなったけど、持ち直したのよ。
きっと最後に孫たちを呼びたくて、最後の命を振り絞ったのかもしれないわね」
臨終の瞬間には涙が出てきませんでしたが、この言葉には号泣しました。
振り返れば、あの時彼ら二人がいなかったら、ボクは落ち着いて祖母さんを見送ることはできなかったような気がします。
祖母さんが僕らを呼んでくれたこと、今でもいとこ同士で仲良くいられること、そして震災の後でもみんな命を失わずにすんだことに感謝できた七回忌でした。
あれからもう6年が経つんですね。