「閾値」という言葉があります。
師匠・二条彪先生がよく遣われる言葉で、「それを超えたら、それ以下の状態には戻らないボーダーライン」のことです。
先生 その172
ボクにとっての閾値は、ギターです。
15歳の時から弾きはじめましたから、今年で24年目になります。
最初はただ、好きな曲が弾けるだけで満足しているレベルでした。ちょっと難しい曲やフレーズになると「ま、いいか。プロになるわけじゃないし」とすぐにあきらめていました。
しかし、大学生になって、軽音楽サークルに入ってすぐに、ボクは厳しい現実に直面します
「お前、ギター弾いて何年になるの? 自分で『ギター弾ける』と思ってるの?」
「弾けないんだったら今すぐ辞めてくれないか。俺たちがレベル低いと思われちゃうんだよ」
スタジオに入るたびに、容赦ない罵声を浴びせられました
当時のボクは、サークルの人たちにとって最低限の要求レベルすらできていませんでした
自分の不甲斐なさに、悔しくて悶々としていた頃、ボクに大事なことを教えてくれたのが岩佐さんでした。
サークルの一年先輩であり、当時サークル内で一番といっていいほどギターの上手な方でした。
「稲葉、上手になりたかったら、一日も休まずギターに触れ」
岩佐さんは高校時代にスティーヴ・ヴァイやイングヴェイ・マルムスティーンに傾倒し、盆暮れ正月関係なく毎日1時間はギターを弾くと決めて、練習を継続したそうです。
その練習メニューには、基本的なピッキング(右手)とスケーリング(左手)の練習を必ず混ぜていました。野球やゴルフに例えると、「素振り」を繰り返すような感じです。
岩佐さんのアドバイスを聴いて、早速「一日も休まず」は実践しました。しかし、基礎練習はすぐに飽きてしまいます。これは毎日できませんでした
「いろんな音楽を聴け。ジャズでも演歌でも歌謡曲でも何でも聴けそして真似してみろ」
というアドバイスももらいました。
レベルが高くて弾けないフレーズも多かったのですが、「どうやったら本物の雰囲気に近付けるか」を考えながら練習することに重きをおくようになりました。
あれから20年近い年月になりますが、サークルの同期でボクより上手だった仲間には、卒業を期にギターをすっぱり辞めてしまったヤツもいます。
Now Printingというバンドが本格活動したのはボクが社会人になってからのことなので、皮肉にもボクは、まだ弾き続けているOBの一人です。
人と比べなくなってから、ギターを弾くのが楽しくなりましたし、人から褒められるようになりました。
でも、それは弾けなくて悔しい思いをしたから、楽しめるようになったのだと、今ではそう思えます。
閾値は「あきらめない気持ち」と「凡事徹底」で成せるものだと、ボクは思っています。
今では毎日触る習慣がなくなりましたが、感を取り戻すのに時間はかかりません。そして、年々上手になっていきたいという向上心も衰えません。
あきらめない限り、可能性は無限大。いまだにゴールを見ることなく、成長しつづけます。
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