こんな可愛いお家が私の夢だったんです😊

 

はじめまして。

 

「今が一番幸せ」と感じながら84年間過ごしてまいりました、まあこです。

みなさんと同じく人生山あり谷ありで生きてまいりました。

 

 

夫がある日突然会社を辞め自営を始め、その後すぐ夫は病に侵され闘病しながら綱渡りで生活していました。

米櫃の底が見えそうな暮らしは私も働かねばという気持ちを強くしました。

しかし家にいて欲しい夫。苦肉の策で近所の方や知り合いに婦人服の卸問屋である夫の商品と私の大好きな手作りの小物を作って販売し始めました。

最初は全く誰も来ず、開店休業。私の可愛い「店」で夫や友人は麻雀を始めるような始末。

それでもどうやったら人に来ていただけるだろう、どうやったら人は喜んでくださるだろうといろんなことを試して行きました。

それが11年経った後、この六畳間(その後増築して十畳半くらいになりましたが)で1億円を売り上げることになるのです。

 

今日は自己紹介がてらに私の生い立ちを少しお話ししますね。

 

四国のある田舎町でさまざまな事業を営む父母の元、7人兄弟の6番目として生を受けました。

ちょうど日中戦争が始まった年です。

 

父はテーラー修行の後自身で事業を起こし、新し物好きな父はいろんなことに挑戦してきた人でした。

醤油屋、畳屋、タクシー会社、海苔製造、リゾート開拓などの不動産投資、船を所有していた時は小さな商社のような仕事もしていたようです。

「土佐のいごっそう」を絵に描いたような人でした。

母は明治の女性を絵に描いたような人。

夫から3歩下がってついて来るような人。しかしながら彼女も父の世話をしながらも呉服屋と旅館を切り盛りしていました。

3姉妹のおとんぼだった私は父にとても可愛がられて育ちました。

毎日お稽古事三昧でなんの不自由もなく暮らしていましたがある日父が大手の製紙会社の保証人になったことで一夜にしてほぼ全財産を失いました。

かろうじて母名義になっていた旅館のみが残り結婚適齢期の私は覚悟を決め母と従業員の数名とでなんとか旅館で生計を立て直すことを始めました。

20代半ばでした。

 

今思うとそこから私の「あきない(商い/飽きない)」人生は始まっていたようですね。

 

この旅館時代のお話もまたおいおいお話ししますね。

 

読んでくださってありがとうございました。

 

今日もご機嫌さんでお過ごしくださいね