■さよなら、はぁくん。
泣くんだろうな、きっと...
そんな風に漠然と思っていたけれど、意外とあっさり「いい子にしててね、頑張ってね」とぎゅっと抱きしめるだけですべては終わったりして。
まぁ、詳細は省きますが、父が海外に転勤になり、義母と弟もそれに伴って日本を離れることになったんですよ。
あ、はぁくんというのは弟のことで、隼人って名前を縮めてそう呼んでたんですけどね。
話が出た当初は単身赴任も考えてたみたいですが、私のためだとしたらそんな、家族が分かれて暮らすような事はしないでくれって父に言ったんです。
両親揃った毎日こそが弟には必要、義母はもとCA(カルシウムじゃありませんよ)なので言葉の問題はないし、3人で行くべきだ、って。
それじゃ私がひとりぼっちになってしまうと父も義母も眉をひそめたけれど、今さらそれを言われても、ねぇ(笑)。
どの道2018年の3月末には私は日本国籍を返上して生まれた土地に戻るし、そうなれば切れてしまう絆...
多少早まっただけのことです。
で、この週末は彼らとお別れしに、実家(と言っても引越しでドタバタしてるので過ごしたのは都内のホテルでしたが)まで行って来ました。
なんか...
家族って、何なんでしょうね。
私だって生まれた時から20才だったわけもなく、今の弟のようにいろんな手に導かれて来たはずなんですが、それらを(すべてとは言わないけれど)失なうって、もっとつらくて痛いことだと思ってたのに。
寂しくて、心細くて、怖いはずのことなのに...
あっけらかんと帰りの新幹線でビールを飲んでる私がいました。
■死ぬ時はひとり
その事実を人はなかなか受け入れようとせず、孤独死なんて名前をつけてさもみじめなことのように忌み嫌うけれど...
死出の旅路はひとり旅。
私はそう思っています。
もちろんこれからいろんな人に出会うことでしょう。その中には人生を分かち合う相手になる人もいるかも知れません。
でもね。
双子ででもない限り人はひとりで生まれてくるし、心中でもしない限りはひとりで死んで行く...
例外はあるし、そんな風に考えるのは少数派あるいは異端者かも知れないけれど、この週末の間ずっと自分にそう言い聞かせてた気がします。
私は日本人には白く、フランス人には黄色く見えるという意味では生まれながらの異端者、どこであろうと「よそ者」だという事実からは逃げられません。
だからこんな風にやさぐれてみたくなるのかも知れないけれど...
死ぬ時は、ひとり。
今のところは、そんな言葉を突っかい棒代わりに自分を支えるしかなさそうです。
チョコレートさえ手元にあれば、そして、お酒さえあれば、大概のことは何とかしてご覧にいれます。
あまりほめられたやり方ではないかも知れませんが。
ではまた。
フランでした。