私が写真ではなく写心を学んだ理由 | 自分が幸せになる魂のへその緒の秘密☆助産師河野鳥クミコオフィシャルブログ

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こちらの続きになります↓

 

 

 

なんでわざわざ

 

写真ではなく、写心を学びに

 

東京&京都まで行ったのか・・・?

 

 

 

 

私・・・

 

スタジオの撮影好きじゃないんです。

 

 

いえ、ちょっと違うかな。

 

よくある写真スタジオで撮る写真での

 

 

作られてる感が

作られた感が

拘束感が

 

やらせっぽくてどうも好きじゃないんです。

 

 

 

 

なんといいますか

 

自由度がないといいますか

 

つまらないといいますか・・・。

 

 

カメラみると緊張しますし

 

うまく笑えないし

 

見られてるのもなんだし、

 

良く撮られたいって思ったり

変な汗かいたりしますし・・・。

 

 

 

 

 

 

でですね、

 

やっぱりその人らしさが出やすいのって

 

自然体でいられる時

 

その人らしくいられる時だと思うんです。

 

 

 

 

 

 

その時に

 

その人本来の持っている

 

それはそれは美しい輝きが

 

 

 

ピカーっと出てくるの。

 

 

 

私が撮りたいのはそれでした。

 

 

 

 

そこでつぐさんの提唱する写心とは

 

 

その人の内側を引き出したそれが写心です。

内側の温かさや、芯の強さが、外見と重なって写し出される。

 

そう。まさに『人柄を写し出す写真』、

 

だから『人柄写心』なのです

 

 

 

おお、これだ。。。

 

 

 

と、思って

 

表現の仕方を学びに行きました。

 

 

 

そして・・・。

 

習ったことを取り入れながら

 

撮った写真をみたら・・・。

 

 

 

 

想っていたものが撮れるようになってきて、にんまりなのでした。

 

そして、その姿を

 

写心で写してもらうことで

 

 

 

私が思っていた以上に

 

それは、嬉しくて楽しくてにんまりしちゃうくらいの

 

ことであったと知りました。

 

 

 

そう、写心は

 

私よりも

 

私のこと、教えてくれたんです!

 

 

 

 

 

講座に出てから

 

「このカメラだとなんだか私らしくない!」と思って

 

トツキトウカ設立とともに

 

10月10日に買いに行ったのがこれ↓

なんか、嬉しそう笑がにじみ出てるー

 

 

 

 

CANONのEOS5DMARKⅣ

 

レンズをつければ1kg超える

 

フルサイズの一眼レフ

 

 

 

コレを買ったのは

趣味としてただ、撮って楽しむ

 

ではなくて

 

 

 

仕事として

 

もっとあなたって素敵なんだよーーー!

 

あなたの世界って素敵なんだよー!

 

 

 

っていうことを

 

 

見るという

 

シンプルさで伝えるため。

 

 

 

 

 

そして、

 

変わる一番のきっかけは

 

”気づく”こと 

 

 

 

 

私が100伝えるより

 

あなた自身が誰よりも

 

あなたのことを知っているのだから。

 

 

 

そんな気持ちを込めて

 

購入しました。

 

 

 

正直

それなりのお値段でしたので、

 

 

というか

 

レンズまで何よりのお値段でしたので、

 

いい、決意表明になりました。

 

 

 

 

が、カメラの世界は奥が深くて

 

 

分かんないーーーー↓笑

だらけではあるけれど、

 

 

 

やっぱり、一緒に学んだ仲間の存在は大きくて

 

正直、創業と同時期でしたから

 

めちゃくちゃ忙しくて

 

あー、なんでこんな時に写心なんだーーーー!と

 

 

 

これは

全ての講座中も

 

1月のつぐさんの新年会も

2月のライトルーム講座までも

 

 

ことごとく暴れだしたくなる状況と

 

バッティングしまくって。

 

 

 

 

でも・・・、それでも・・・

 

あの日、カメラを買ったあの日

 

自分にした約束は反故にしたくなくて

 

発狂しながらカメラの世界に触れていき続けたのでした。