ネット上で、実際に会えるかどうか分からない段階で、本名を名乗らなければならないという感覚を目にすると複雑な心境になる。
本名というのも個人情報だ。
個人情報保護法というものがあるのを考えたことがあるのだろうか。
実際に会えるかどうか分からない段階で本名を知りたがるのは、個人情報を収集して業者に売る意図があるのかと、うがった観方をするのは僕だけだろうか。
ネット上ではハンドルネームしか名乗りたくないというのは価値観の問題にすぎない。
僕には小学生の子どもがいて、家族を守りたいというのは、ごく普通の感覚のはず。
けれど、世の中には、いろいろな人がいる。
いつの世にも一定の割合で、排他的で独善的な人がいる。
世の中をより良き方向へ変えたいという気持ちがあるなら、人は自然と柔和な表情になる。
他人のミスを許せる。
僕は震災で、多くの人が亡くなっていく中で、自分一人では何もできないことを学んだ。
みんなで協力し合ってしか生き残ることはできない。
お金というものは、働いたら何とかなると思っている。
お金の問題は易しい。
だが、命の問題は、非常に難しい。
個人の犯罪や気象兵器などによって、今現に命が奪われている。
それを看過できる感覚は、人間として、信じられない世界があるのだろう。