意外と忘れられているが、日本国憲法は英語で作られている。
お陰でブレが少なく、本当は『解釈』という手品が使えない。
曖昧さ故に美しい日本語は、ことルールの類には
向いていないのだ。
便宜上、和訳が国内では行き渡っているが、
『こういう決まりにしているの』と日本人同士、
自国語で確認し合っても意味がない。
日本国民の宣言として、他国民にもわかる言葉で伝えてこそ、
憲法は国際的に、本領発揮する。
義務教育のお陰で、日本人は全員当たり前のように、
文字を読めるだけでなく、最低限の英語を知っている。
辞書さえあれば、中学英語で十分理解できる憲法の原文は、
むしろ堅苦しい翻訳文より、よっぽどわかりやすい。
山奥の穏やかなお婆さんが、
武器を持ってふらりと迷い込んだ外国人に、
『ジャパニーズピープル、フォエバーリナウンス、ウォー』
と言えば、超カッコイイ。
今時、日本のお婆さんは、これくらいの英語を難なく言える。
『戦争放棄、すなわち合法的な殺人行為を拒否する』
という、世界でも稀に見る最強カードを、
日本人なら、誰もが持って生まれてくる。
重要な外交の場で、何故か、国はこのカードを切らない。
仕方ないので、在外邦人として、自衛を決意する。
九条の根幹である抜粋と、それに基づく自己宣言を、
パスポートに、はさんでおこうと思う。
万が一、人質になったら、この武器を犯人に渡すつもりだ。
同じ考えの在外邦人や旅行者がいれば、お守り代わりに、
お使い頂いて構わない。
Tシャツにプリントアウトするのも自由だ。
命は個人で守っていこう。
私達はオウンリスク、いわゆる自己責任を覚悟の上で、
出国しているのだから。
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Japanese people forever renounce war
-The Constitution of Japan, Article 9-
Therefore we can’t kill anybody by any reason.
This is the gift from American people to Japanese people.
There were no war victims of Japanese in almost 70 years.
If you will kill me, that’s just a crime.
I won’t say anything. But your God never forgive you.
日本国民は、永遠に戦争を放棄する。(日本国憲法第九条より)
従って私達は理由を問わず、何びとをも殺すことはできません。
これは、アメリカ国民から、日本の国民へのギフトです。
お陰で70年近く、日本人の戦争犠牲者は一人もいません。
あなたが、もし私を殺すとしたら、それは単なる犯罪です。
殺された私は何も言わないが、
あなたの神は、あなたを決してゆるさないでしょう。
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憲法に定められた権利で、国民は別段、困っていない。
護憲か改憲か、二者択一のように言われているが、
問題がなければ、現状維持が当たり前で、
このまま護り続ける方針には、訳などいらない。
どうしても変えたいのなら、よっぽどの理由が必要だ。
長年にわたり、戦死した日本人がいなかった、という事実の、
どこが問題なのだろうか。
天皇が、平和を維持できたのは憲法のお陰だ、
と明言されていることに、正面から、意義を唱える根拠は、
本当にあるのか。
米軍から押し付けられた、と言う人がいる。
悪いけれど、軍人にこんな洗練された法を作る、能力はない。
招集された文官、すなわち米国市民の精鋭が本気で心をこめて
作成した草案を、日本人の文民が、精査し認めたものが、
日本国憲法だ。
もし、米軍が日本をコントロールする目的で、作ったのなら、
『首相は文民』(66条)などと、軍部に不利な限定はしない。
戦争放棄と、男女平等を、憲法に取り入れた文官の一人、
ベアテ・シロタ・ゴードン女史は2012年、ニューヨークで
生涯を終えるまで、何故、変える必要があるのか、
と平和憲法の維持を訴え続けた。
今、世界が注目するマララさんの訴える平等を、日本女性は、
ベアテさんのお陰で、70年も前に、手に入れていたのだ。
自国の法を作ろうとすれば、誰も自分が有利になるよう、
計らうが、他国のためなら『ワタクシ』が入らず、
客観的に万人の平等が叶う。
外国が作った草案だからこそ、権力者に不利である、
差別の撤廃、労働、表現、教育の自由が実現した。
当のアメリカで、差別撤廃法が成立したのは、
日本より17年も遅れている。
文官達が、祖国で果たせていなかった理想を、
他国である日本に託したのだ。
憲法を英語で読むと、時代に即して変えていく予定が、
ハナから無かったとわかる。
変えるつもりなら、三回も出現するFoever(永遠に)は使わない。
聖書やコーランは2000年前後、一文字も変えて来なかったが、
今でも新鮮な教えに満ちている。
優れた法は、改ざんの必要などない。
聖書を、一人の法王が変えたいと言い出したら、
歴史は許しただろうか。
日曜討論会で、ある女性大臣が『九条に即した自衛権の行使』
という発言を、何度も繰り返していた。
九条に『自衛』の言葉は一切ない。
もしかして読んでいないのか。
読まずに、改編するべきだと主張しているのは、
どういうことだろうか。
九条を、原文の英語から、要約すれば・・・
「日本国民は、永遠に戦争を放棄する。
『国際紛争』の解決手段としても、
国家権力に、武力を使わせない」
明白なのは、主語がはっきり、分けられているところ。
『国民(People)』が、戦争を放棄しているのであって、
その国民が、『国家(State)』に武力を使わせないと、
限定していることだ。
以下、全文である。
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THE CONSTITUTION OF JAPAN
ARTICLE 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on
justice and order,
the Japanese people forever renounce war
as a sovereign right of the nation and the threat
or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph,
land, sea, and air forces, as well as other war potential,
will never be maintained. The right of belligerency of
the state will not be recognized.
「直訳」
正義と秩序に基づく世界平和を、心から切望する日本国民は、
国家の主権的権利としての戦争と、国際紛争を解決する手段
としての、威嚇、または武力の行使を、永遠に放棄する。
前項の目的を達成するために、
陸・海・空・その他の戦力、軍隊を決して維持しない。
国の交戦権が認められることは、今後ない。
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九条に限らず、日本国憲法のどこにも、自衛隊を海外へ
派兵していいという、拡大解釈ができる、条項はない。
『国際紛争の解決』すなわち喧嘩の仲裁であっても、
軍隊は持たない、と一貫した武力否定に、基づいているからだ。
威嚇も許さないという、憲法=国民を無視して、国家が、
他国へ威嚇宣言や、示威行動を示すのは、違法である。
自衛隊は、海外で活動した瞬間、軍隊とみなされ、
九条の定義から、存在自体が、憲法違反になってしまう。
ちなみに女大臣が連発した『自衛権』は、実は憲法ではなく、
『国連憲章』で保証されている権利であり、
こちらは一国の勝手で、都合よく解釈などできない国際法だ。
その上、集団的自衛権は、濫用の事例が少なくないと、
すこぶる評判がよくない。
国連憲章の、より安全な個別的自衛権で、十分自国は守れる。
非戦国であると宣言している国に、中国や北朝鮮が攻めてくる
という被害妄想は、常軌を逸している。
地球なんて小ちゃな星なのだ。共存共栄で進化しない限り、
どの国家、組織も生き延びられない。
戦争放棄している国は、圧倒的に少ない。
だからこそ、日本が世界を、平和に導くことが可能だ。
最も進んでいるこの力を、何故、手放す必要があるのか。
日本国民の権利である、コンスティテューション(憲法)を、
英語で読んで、本当に欠陥があるのか、
それぞれ個人で判断してほしい。
日本国憲法は、インターナショナルな日本人を護る。
日本は、どこの国の属国でもない。
忘れられがちな国民の力を、国家には奪う権利がない。
まだ間に合う。
地方選挙・後半戦での一票を、無駄にしないでほしい。
歪んだコンプレックスで、他国へ敵意を示す、
心の無い群れは、祖国を救えない。
堂々と英語で、憲法を宣言できる若い力が、
日本にはまだ存在する。
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タイトル字の意味・・・
9条へ向かう9発の弾丸は、輪=和へ変容し暴力を失う
