ゆるし と 責任 は同時に存在している
そんな言葉にたどり着いたんですが、
なんでしょう...
去年、2018は、ホントに自分が望んでいるものごとを知るために学び続けてきた。
スタートは大好きな人とお別れすること、先延ばしにしていた「孤独を味わい尽くすこと」だった。
その前の年、2017年に友人達のグループを抜け、知人たちとは疎遠になるような決断をしてきたのは、その準備でもあったのかもしれない。
孤独というより孤立。
極端なくらいやってもさほど学ばないあたしは、毎朝毎晩、孤独感にさいなまれながらも それに対抗するように「自己受容」「自己肯定」について読書を続けた。
書に感涙し、共感を覚え、教えを実践していく中で、あたしはインナーチャイルドのワークを思い出し、「今」の自分が何を「感じているのか」に向き合い始めた。
トータル430時間以上に及ぶワークの中でチャイルドとペアレントの役割を交代しながら、お互いが感じていることを正直に正直に伝え合いながら本音を表現する恐怖を超えていった。
あたし自身が、過去のあたしに対する手厳しい評価をしていたことで、あたしは感じることをやめなければいけなかった。
インナーチャイルドの時点。当時のあたし。そこで止まったままの感情。
感じることを忘れてしまったので、感じられない。
思考と知性を頼りに、そして、ただただありのままのその時の自分を受け容れてあげること。感じられるように、感覚を取り戻せるように。
しっかりと丁寧に、感情や思いに寄り添いながら、自分の感情へとたどり着く日々。
受け容れてもらえなかった悲しみ。
母に対する裏切られた感。
父に対する軽蔑。
たくさんの感情を感じ直す日々だった。
ただ、兄が亡くなったときの感情には、今回もたどり着くことはなかったのは、仕方がないという感じだった。