ANAのラウンジで寿司を食べていたところ、後ろから声をかけられた。
「何処に行くんだよ?俺らこれから上海に行くんだ。」と聞いてもいないのに男は行き先を打ち明けてきた。
俺は考えた末、「おっ、咲哉もこれから出国なのか?俺は仕事でな・・・ちょっと。」と言い、行き先は告げなかった。
しつこく行き先を聞き出そうとするが「社内秘なんだ。分かってくれよ。」と理解を求めると意外と「そうか、そうか。」と納得してくれた。
この男は俺の兄、名前を綾瀬咲哉という。
咲哉は綾瀬会という暴力団の綾瀬拓郎の長男だ。
たまたまなのか、何なのか知らないが、ANAのラウンジでばったり会ってしまった。
兄と言ってもこいつは本当の兄じゃない。
何故なら咲哉は俺の腹違いの兄貴で、我が強く、思い通りにならないと力でどうにかしようとするところが有る。

小さい頃からこいつの欲しがる物は全て譲ってきてどうにか上手くやり過ごせたが、最近組の跡継ぎ問題で俺が組長候補に名が挙がった事から俺の事を邪魔もの扱いしていた。
俺は極道に興味など無かったが、親父は正妻の長男の咲哉ではなく、愛人の息子の俺を選んだ。
実の子とは言え、愛人の子の俺に親父は咲哉と同等に接してくれてとても感謝している。
俺たちはずっと実の兄弟のように育てられてきた。
ガキの頃は喧嘩が嫌いなのを良いことにヤクザの子というだけで苛められていた俺をいつもかばってくれて、強くて優しかった。
中学の頃、咲哉がいない事を良いことに俺はボコボコにされて帰ってきた。
それに腹を立てて咲哉は俺とジークンドーを習わせてくれと親父に話を付けてくれた。 そこらへんから俺達の考え方の違いがはっきり分かれた。
力を手にした咲哉は攻めの思考、俺は守りの思考。
今思えば、この頃から咲哉は変わった。
咲哉は喧嘩が日課のようになり、通っていた公立を退学させられ、不良が多いと評判の私立に通うことになった。
敵対していた不良を片っ端から力でねじ伏せ、味方につけ、咲哉は70人近いストリートギャングをまとめていた。
高校を卒業後、ギャング達を組に引き入れ、組の幹部になった。
組内でも咲哉の強さは評判となり、次期組長は間違いないと思われていたし、咲哉もそうなると信じていた。
しかし、親父は力で支配する咲哉の行動を冷たい目で見ていた。
それに対し、俺はなるべく親父の金を使わないように金をかけずに進学出来る公立高校に進学し、堅気の仕事を選んだ。
そして、俺は組の屋敷を出て、独身生活をエンジョイするようになった。
最初は堅気の仕事を選んだ俺を「頑張れよ!」と言ってくれていた親父が何故急に俺を二代目に任命するのか分からなかった。
本当なら正妻の長男を跡継ぎにするのが筋ってものだろう。
正直、親父の決定には非常に迷惑している。
おそらく力ずくで手に入れるというこいつの考えを嫌ったのだろう。
俺と咲哉の関係は表面上、仲が悪いようには見えないが、実際のところ、俺もこいつのそういう所が嫌いだ。
特に視界に入る女は片っ端から犯らないと気がすまないというラブマシーンならぬ性欲マシーンという所も気に食わない。
見た目がイケメンなので大抵は和姦になっていたらしいが、俺の付き合ってきた女にも何度かちょっかい出しては捨てている。
それ以来、俺は彼女を作らなくなった。
ここに蒼井がいなくて良かった。
ホッとしたのもつかの間、蒼井がなにやらいっぱい両手に免税店の袋をぶら下げ、キャリーを引いてやってきた。
何と言うバッドタイミング・・・「ジーザス!このおばかな子羊をお守り下さい。」と心の中で唱えた。
俺の目に前に着くやいなや「待ちました~?」と聞きながら咲哉と強面な黒スーツ連中をよそにその場にしゃがみ、キャリーのファスナーをジィ~っと開くと空っぽのキャリーに免税店の袋を詰め込んだ。
そして、立ち上がるとようやく咲哉と強面系の連中に気付く。
「深美さん、この方達は?」と聞くと咲哉が「あっ、これは失礼!俺は咲哉、哲雄の兄貴だ。よろしくなっ。」と答える。
蒼井は強面系の連中の事など気にせず「はい、宜しくお願いします。深美さんにお兄さんがいらっしゃったなんて初見にです。そちらの後ろにいらっしゃる方達は?」と聞くと「あぁ~こいつらは俺の部下だ。なに?二人は付き合ってるん?」と咲哉が聞き返した。
これ以上この場にいては危険だと感じ、俺は蒼井が答える前に「付き合ってるわけねーだろ?会社の同僚だ。」と答え、「そろそろ行こうか?」と蒼井の手を掴んでその場を離れようとした。
咲哉が引きとめようとしたが俺はその前に「すまん、また今度な。」と言い、その場を離れた。
咲哉は顔をニヤッとさせ「ああ、今度彼女とうちに遊びにこいや。」と言い、「だから彼女じゃねーよ!」とその場を後にした。
時間はまだたっぷり有るのにくつろげなかった。
メールチェックもまだしていない。
蒼井が「なんでラウンジを出なきゃいけないのか」と言う顔をしていた。
俺は「咲哉には近づくな。近づかれても上手く受け流せ。あいつといるとまともな事がないからな。」と蒼井に忠告した。
「そうなんですか?咲哉さんそんな悪い人に見えないですけど…深美さんほどじゃないですけどっ!」と蒼井はおどけて見せた。
「あいつは二足歩行型SEXマシーンだ。マジで気を付けてくれ。」と念を押す。
納得したかどうかは分からないが蒼井は「は~い。」と空返事をすると「深美さんにあんなイケメンの兄弟いたなんて聞いて無かったです。」と俺が隠し事をしていたかのように不満げに言う。
言うか言うまいか少し迷い、「あぁ・・、あいつは兄弟って言っても腹違いだ。苗字も違うし、性格も間逆だ。」と言うと聞いてはいけない事を聞いたかのようにばつの悪そうな顔をした。
「気にするな。俺は気にしていない。俺が気にしていないんだからお前も気にすることは無い。ただあいつにだけは気をつけてくれ。」と言うと気を取り直し「はい!」と答えた。
もうラウンジには戻れないがメールチェックはしたい。俺達は本館3階のYAHOO!カフェに行った。
受付にパスポートを見せ、利用申請書に氏名・住所・電話番号を記入すると受付からセキュリティーのUSBを貰った。
空いているパソコンの前に座り、gmailをメールチェックをする。
会社でメールアドレスは貰ってはいるが、出張の多い俺達はこういったフリーメールの方が助かる。
一通り目を通し、時計を見ると搭乗時間15分前だった。
蒼井と搭乗ゲートに向かいながらそういえば咲哉達も上海だって言っていた事を思い出し、合わないなるべく遭遇しない事を祈っていた。
エコノミーの搭乗ゲートには長蛇の列が並んでいた。
俺達はそれを横目にファースト、ビジネスクラス用のゲートを通っていると蒼井が「なんか・・・ちょっとVIPな気分ですね。」とはしゃいでいた。
そっか・・・こいつビジネスクラスの乗るのも初めてなんだな。
スチュワーデスに席を案内され、俺達は最前列の右側の席に座った。
暫くするとスチュワーデスに「お飲み物はいかがでしょうか?」とミネラルウォーターとオレンジジュースの入ったグラスの乗ったトレーが差し出された。俺は「じゃ・・これで。」とミネラルウォーターをもらい、蒼井はオレンジジュースを手に取った。
「お食事は、『懐石』、『中華』、『洋食』の中からお選び出来ます。」とメニューを渡された。
俺は洋食を選び、蒼井は懐石を選んだ。
そして他のスチュワーデスが新聞を持ってきて、俺は日本経済新聞をもらい、蒼井はそれには興味なさげに肘掛に備え付けのモニターを出したり、入れたりしていた。
それを見て俺は蒼井に「お前、ついてるぞ。初めて乗る飛行機でビジネスクラスに乗れるなんて。」と言うと、「え?そうなんですか?エコノミーと何が違うんですか?」と聞かれ、「エコノミーはビジネスよりも低料金で乗れるのがメリットだ。しかし、シートはこんなにゆったりしてはいない。横幅も狭ければ足も伸ばせない。退屈しのぎのモニターも無ければ見れる映画も一作のみがスクリーンに映し出されたのを見るしかない。料理も給食の様なもんだ。」と言ってやった。
「えぇ~本当ですか?今度新婚旅行する時もビジネスに乗りたいですね。」と訳の分からん事を言い出したので「えぇ・・・・誰と新婚旅行ですか?」と丁重にお尋ねすると、「えぇ~そこまで言わせるんですかぁ~。」と照れて見せた。俺はすかさず「まぁ・・俺じゃない事は確かだろう。うん!」と否定して見せた。「ちなみにこの席、いくらだと思う?」と聞くと「高く見積もって5万円!」と答えたので「ブッブー!正解は越後製菓!じゃなくて、15万円でした。」と答えを打ち明けた。
蒼井は少し沈黙し、「やっぱりエコノミーが一番ですね!」と訂正した。「そうだな、それが賢明だ。俺も会社が出してくれるから乗れるんだ。自分の金じゃ無理だ。」と言ってやる。
「うちの会社って変な所で太っ腹ですよね?儲かってるんですかね?」と蒼井が聞いてくる。「儲かっているかどうかは知らないが、会社は俺達に少しでも快適に仕事をしてくれるように色々と配慮してくれている。だから俺達はそれに答えないといけないな。大事なのは利益だけじゃない。心の豊かさだ。」と蒼井に告げる。
そうこうしているうちにシートベルト着用のアナウンスが流れ、蒼井の出したモニターはスチュワーデスによって強制的に肘掛に収納された。
飛行機は離陸し、暫く飛んでいると茨城県の牛久大仏が小さく見えた。
離陸して約40分後にスチュワーデスが料理を持ってやってきた。
エコノミーとの違いは料理の豪華さにもある。
一枚のトレーに弁当の様に色々入っているエコノミーに対し、ビジネスは前菜、メイン、パン、サラダ、が別々の皿で持っこられる。そして飲み物もワイン、日本酒、ビールの中から選べる。

美味い美味い食べていた蒼井が食事を済ませると料理の皿が片付けられる前に待ちきれなかったかの様にモニターをまた取り出し、ゲームを始めた。
俺は午前中の出来事で少し疲れ、仮眠を取った。



ボコボコ…。
ここは何処だ?見渡すと上はキラキラと揺れる水面。
下は深い闇に包まれた静寂の世界。
「グホッ」
苦しい…。息が出来ない。
手を伸ばしてみるが手足が動かない。
何故か手足が何かで縛られている。
しかも籐で編まれた籠のようなものに閉じ込められている。
体中が痛い・・・。
なんなんだ・・このピンチ的状況は・・・ありえねー!
俺は死ぬのか?
「・・・。」
これっていつもの夢じゃないか・・・クソッ!苦しい。
夢なら早く覚めてくれ!
しかし、冷静になって考えてみた。
これっていつも見る夢じゃないか?
もし夢の中だとしたら俺は死ぬことは無い。
上手くいけばコントロールさえできる。
この際、息の事は気にせずこの夢は俺に何を見せたいのかと考えた。
そうすると息を止める事がそれ程苦しく感じなくなった。
静かに周りを見渡す。
すると上の方から水面を切り裂くように何かが沈んでくる。
この籠と同じような籠が沈んできた。
よく見ると長い黒髪、肌が透き通るほど白く凛とした顔立ちの美しい女性が沈められてきた。

その女性の口元が何か言っている。
「さい」「せん」?「うお」「あい」? 賽銭?魚愛?こんな苦しい状況でなぜ賽銭、魚愛?
しかも魚愛って何? 何を伝えようとしてきているのか分からない。
そんな事よりも夢とはいえ、やはり息が苦しい。
女性が籠越しに何かを渡してきた。
無意識にそれを受け取るが、 早くこの夢から脱出しなくては・・ぐるしい・・。
意識が遠のく・・・。

「深美さん!深美さん!!大丈夫ですか?深美さん!」
「はっ!」背中にびっしょり汗をかきながら俺は蒼井に起こされた。
蒼井が「なんだかうなされていましたよ?大丈夫ですか?」と心配してくれる。
「あぁ・・大丈夫だ。ちょっと悪い夢を見ていたようだ。」と言うとジーっと蒼井の顔を見てみる。

・・・・違う。

夢じゃない・・・
ぎゅっと握っている自分の手の中に何かを感じた。
ゆっくりと握られた手を開くと、手のひらに5円玉のように穴の開いた美しい翡翠が入っていた。
俺は今までこんなに美しい翡翠を見た事が無い。
これは夢なんかじゃない。
しかし、飛行機の中と言う閉鎖された空間で誰が俺に握らせた?
蒼井か?
蒼井は金のないプアウーマンだ。
こんな高価な物が手に入るはずが無い。
しかし、確認してみなければ分からない。
「蒼井・・・俺の手、触れたたか?」と尋ねたが、蒼井は「えぇ~触ってもいいんですかぁ~?」
と、触れた雰囲気すらなかった。