小説的日常

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昔の日記を見つけた。といっても、すでに結婚し、仕事を辞め、娘を産んでからのものだ。それでも十年前。
十年も経ったのか、と思う。
十年のあいだに二番目の子も生まれ、引越しをし、夫の単身赴任があり、母の認知症が始まった。ゆるやかに確実に身巡りに変化があったのだと、少し茫然とする。
変化はあった。私自身にも、きっと。
しかし何かを成せたかは、考えるまでもない。

十年もたてば伸びきるゴム紐を付け替えてまた誤魔化してゆく

 秋晴れ。

 阪堺電車は阿倍野を出て、もうじき住吉大社の前を過ぎるところだ。

 それまで、手を伸ばせば届くかと思うほど迫っている家屋の間を走っていた電車である。シートの上で体を半分ねじって、外の景色に見入ってしまう。家と家の隙間を縫って、電車は坂道を上ってゆく。宮崎駿のアニメに出てきそうな光景だ。もう少し速度が出れば、飛んでしまうかも。

 遠慮がちに警笛が鳴らされ、間違いなく地上を走っていることを告げる。

 缶ビールのプルトップを引いてさらに空想の世界に行きかけたところで、ヒロミさんが「楽しいなあ」と口走る。ヒロミさんはワンカップを飲んでいる。

 ヒロミさんの隣に座っていたナツオさんが「遠足やね」と相づちをうつ。

 電車は大和川を渡ってゆく。

 茶色い水が日の光を反射して、とろとろ流れている。相変わらず美しくない川。

「確か、日本で一番汚い川やな」

「いや、最近ワースト2になったらしい」

 しかし、美しくないというのは水質の面でのみだ。わたしにとっては、茶色い川も心が締め付けられる光景だ。水量が少なく、乾いたグラウンドには人影もない。それは切なくなる光景で、切なさは美しさに似ていると思う。

 電車は堺市に入り、なお走り続ける。



   警笛がやさしく鳴れば小走りに住吉さんへ向かう母と子





 久しく行かないうちに、小さな本屋がなくなっていた。
 たんにシャッターが下りているのではなくて、建物自体がなく、すでに更地。店が畳まれているのは昨今珍しくないが、なんにもないというのはちょっと衝撃的だ。
 囲いの金網が、ないということを強調している。

 小さな本屋だったから、扱っているものは雑誌や漫画、話題になっている単行本がほとんど。わたしの好む、水色の背表紙やらすべすべしたカバーやら読んでいるうちに呪われそうに小さい活字の文庫本やらは、ことごとくなかった。料理雑誌や旅行雑誌を何冊か買ったことがあるていどだ。

 それでも・・・。

 あれら大量の本はどうなったのだろう。返品?

 しかし、たとえば古本屋だったらどうなるのだろう。店を畳むとき、あちこちから集まってきた古い本達は。別の古本屋に売られるのだろうか。

 などと考えながらも、新しい店ができればすぐに忘れてしまうだろう。もうすでに、小さな本屋の店主の顔も、店の看板もどのようだったかおぼろなのだ。



   更地から以前の店を思うほどえのころ草がゆれる 夢だよ