五

 

 今の住まいは東京郊外の一戸建てだ。

専門学校時代、良く行った日本橋・京橋近辺をぶらついたり、足を銀座に向けたりして帰宅するのが丁度良い息抜きだ。

 

 高校時代付き合いの在った者達で「ふる里会」が開かれることになった。

夕方からの会合であったが、参加することにした。

浩一には、「母方の親戚に不幸が起きた」と嘘の話しをして、外出した。

 高校時代のボーイフレンドも来ていた。卒業以来だ、懐かしい。

数日後、「会いたい」と連絡が有った。

迷ったが承諾して電話を切った。家庭に不満は無いが違う景色が見たかったのだ。

恋愛感情に火が付いた、いけないと思いながら抑えることは出来なかった、幼少のころ、複数の玩具を同時に欲しがったように。

「夕食は電子レンジで温めて食べて」と言い置いた、ソワソワ浮かれお洒落して出かける。

昼間会うようにした、回数を重ねると近所の目が気になり始めた。

家計、特に「子供達の塾に費用が要りようだから」と浩一に話して、パートに週二・三日就いた。これで、外出の口実が出来る。

 

 

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     四

 

 私は、理学療法士になるため上京し、専門学校へ通い始めた。

進学は、医療系と父から限定されたのだ。

家計に余裕は無く入学金の安い学校を探した。

私の周りには、いつも男子学生が居た。毎日楽しいキャンパスライフだ、都会暮らしにも馴染むのが早かった。

母が入院しても、またかと思うだけで帰省しなかった。美沙が居れば事足りるのだ。感覚が麻痺していた。

 

 病院実習が嫌でたまらなかった、汚いからだ。

男子学生と付き合い始めた、喧嘩した時など相談に乗ってもらった先生が、数年後の夫だ。

 卒業後一年半程働いて、結婚した。

 

 

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     三

 

私が高校一年半ば頃、実家に異変が起きた。

 母()()、膠原病発症。病名が判明するまでに七・八年を要した。

当時は専門医もなく、治療法も定かではなかった。入退院を繰り返し、退院して自宅療養になっても、横臥していることが多かった。父淳也の機嫌も悪くなり灯が消えたような家庭になった。

祖母タエと叔母()()が交互に手伝いに来てくれたが、父が気に入らず三ヶ月程で断った。

 家事を担ったのは小学校五年生の美沙。

起きることの出来る日は母がやるのだが、母に付ききりの美沙は、

その時に家事を習う。

美沙の献立は少ないが、毎朝夕違う物を作った。買い物は、美沙が明日作る物、材料を話すのを書いてもらい父からお金を預かり私がした。

 

 

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