Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第三章 蒼蝿の王 3-8 コズミック・ダンス

[承前]


 ミツバチのダンスは右回りと左回りをその不可思議なループの交差点で組み合わせながら、宇宙の無限を暗示する。この捩れた輪は実際には一方向への回転でありながら、あたかもそこに右回りと左回りの二つの回転があるかのように見せかける。


 それは二つの逆方向に回る歯車のようであり、またふたつの逆方向の卍の組み合わせである。インドのタントラは教える――それは二人の踊る神であり、彼らのステップによって大宇宙は創造されまた破壊される、と。彼らはシヴァとカーリーであり、無限のダンスを続ける配偶神だ。この二人は二つで一つ、RとL、右と左は表裏一体で表と裏をなすという。男シヴァは右側に回る。右は男の道であり、太陽の回転方向として卍の形に表された。女カーリーは左、左は女性、月の道であり、それは逆卍の形で表現される。


 この《男-右-太陽/女-左-月》という体系はほぼ世界全体に共通するものだという。インド・ヨーロッパ語族は殆どこの法則に従うシンボル体系をもち、エジプトもまたバビロンでも同様だったという。


 しかし、例外はある。例えば、ユダヤ・カバラの生命の樹の体系では右が女、左が男を表すという。ただ、奇妙なことに女の側の《柱》は《峻厳》を表し、一般に男性的であるはずの火星によって代表される。これを表す語はゲブラーで、《厳しさ》を意味する。ゲブラーの語は、キリスト教の受胎告知の天使としてしばしば女性の天使であるといわれるガブリエルの名に語源的に関連している。ガブリエルはユダヤ教では一方で月に関係づけられてもおり、またイスラム教最高の天使ジブリールとも同一だが、ジブリールは砂漠の民にとって最も大切な元素《水》を司る。いうまでもなく水は女性的な元素だ。一方、左の《柱》は《慈悲》を表し、明らかに女性的と思われるのだが、これは木星に代表される。ところで《慈悲》は、ヘブライ語でラハミームという。左右どちらの《柱》でもなく中央の《柱》の中心にあるティフェレト(美)というセフィラがある。これは太陽に関係づけられる。このティフェレトの異名がまさにラハミームなのだ。
 ユダヤ教神秘主義の体系ではこのようにかなり目につくところで《男-右-太陽/女-左-月》の法則は破られている。


 わたしたちの国の神話でも、この法則性はのっけから破られている。イザナギが左目を洗うと出て来たのは女神ではあるが太陽のアマテラス、右目から男の月神ツクヨミが出る。しかしもっと目につくのは例の国生み神話の箇所だ。イザナギは天の御柱を左から回り、イザナミは右から回る。そうやって出来損ないの水蛭子と淡島が生まれるのでやり直しになるのだが、そこでは女が先に声をかけたのがいけないという指摘がされるだけであって、回転方向は全く前と同じまま女が右、男が左で終わるのだ。

 だが、よく注意してみよう。日本が《日之本》――太陽の国であるということをもう一度思い出しながら、神・R(ゴッド・アール)の忠告に従って立ち止まるべきだ。《右側に気をつけろ》。


 伊邪那美と伊邪那岐の名前をよく見比べてみるといい。二人の名前は《伊邪那》までが共通、語尾が《ミ》と《ギ》であり、合わせて《ミギ》つまり《右》という言葉が隠されている。実はこうして《伊邪那…》の二神は一緒にわたしたちを《右》へ-太陽の方向へといざなっていたのである。


 ところで、真言密教の経典『大日経』は、《太陽》に譬えられる大日如来を中心とした胎蔵界曼荼羅を定め、上を東とする四方八方に放射状に仏や神々の配置した東洋的なパンテオンを形成する。その最外院にも二百近い神仏が配置されているが、この基本となったものはヒンドゥー教の《八方天》と言われるものだった。この神々はローカパーラ(世界の保護者)と呼ばれた。彼らの顔触れを右回りに辿れば、次のようになる。


 ① 東  帝 釈 天 (インドラ)…………白象(アイラーヴァタ)に騎乗
 ② 東南 火  天 (アグニ)……………山羊に騎乗
 ③ 南 焔 摩 天 (ヤマ)………………水牛に騎乗
 ④ 西南 羅 刹 天 (ニルリティ)………死鬼または屍骸に騎乗
 ⑤ 西  水  天 (ヴァルナ)…………摩竭魚(怪魚マカラ)と七匹の蛇に騎乗
 ⑥ 西北 風  天 (ヴァーユ)…………鹿に騎乗
 ⑦ 北 毘沙門天 (クベーラ)…………夜叉または人間に騎乗
 ⑧ 東北 伊舎那天(イーシャーナ)……水牛または牡牛に騎乗


 最後の東北のローカパーラ《伊舎那天》にわたしはイザナミ・イザナギ両柱の神の名前の共通分母《伊邪那》に響き合うものを見いだす。無論、この二つの名前が音のうえで何となく類似しているという以上に確たる根拠など何もある訳ではないのだけれども、わたしにはこの偶然の一致が出来過ぎな程よく出来た意味深い暗示を含んでいるように思えるのだ。というのは、いわば日本は世界の東北の方角に当たり、伊舎那天の元の名前イーシャーナ(Isana/《支配者》の意)は、紛れもなく右回りの神シヴァの別名に他ならないのだから。


 シヴァは古くは暴風神ルドラの名で知られた。『アタルヴァシラス・ウパニシャッド』というバラモン教の教典には次のように記されている。


《彼は唯一のルドラと呼ばれる。なぜなら、彼のみが万物を創造し帰滅させるからである。彼はイーシャーナと呼ばれる。なぜなら、彼はイーシャーニー(支配力)と呼ばれる力で万物を支配するからである》