Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第三章 蒼蝿の王 3-6 聖母マリアの誕生

[承前]


 四〇六年の神殿破壊後、聖母マリアの教会をキリスト教徒に押し付けられたエフェソスの人々はそれでも頑固にアルテミスを信じていた。
 聖母といえば彼らにとってアルテミス以外の何者でもありえなかったのだ。


 四三一年、ネストリオス派に対する異端判決で有名なエフェソスの公会議が招集されたとき、同時に問題になっていたのは異教の女神崇拝を如何にして排除するかであった。
 ところで聖母マリア崇拝はネストリオス派にとっても馬鹿げたものであった。


 ネストリオスは、三二五年ニカイアで排撃されたアレイオスに続く異端の巨魁。
 アレイオスは子なるペルソナ・キリスト=ロゴスを父なる神の被造物と主張して、キリストの神性つまり父との同一性を危機に晒した。
 アレイオスとの戦いを通して三位一体論が確立され、キリストの神性は確保された。
 ところが、今度はキリストその人をつかまえて、その内なる性質を問題にする人物が現れた。
 これがコンスタンティノープルの司教ネストリオスだった。


 キリストは周知の通り、神にして人、つまり神性と人性を兼ね備えているという厄介な人物だ。
 ネストリオスはこの神・人両性の区別の問題に食いついた。
 彼はキリストの人間性に執着し、その神性と人性を分離させ、つまりは一個のペルソナである《子》を自己分裂の危機に追いやった。


 三位一体論は神性を巡る純粋に抽象的な存在論の問題であって、いわば雲の上での議論に過ぎず、ネストリオス派には説得力を持たなかった。
 キリストがロゴスとして神と同一性を持つとしても、それは神性の内部の問題に過ぎない。
 《子》なる神性が人間に宿る場合、人性と神性の関係はどうなっているのかというまるで異なった問いの次元をネストリオスは開いてきた。


 ネストリオスは、イエス・キリストにあっては、《人性》は自由意志において《神性》と結合するとした。キリストは神というより寧ろ神の宿った人間に過ぎず、従って、キリストの《人性》と《神性ロゴス》とは別個のものである。
 そこからネストリオスは聖母マリアの呼び名《神の母〔テオトコス〕》を否定し、マリアは単なるキリストの母親に過ぎないとして、その聖性を否定してしまった。


 このとき猛然と反対したのはアレクサンドリアのキュリロスだった。
 彼は、キリストとは、人間となるほどまでに自己無化(ケノーシス)を成し遂げた神であると主張し、キリストは人間本性においてわれわれと同一本質〔ホモウーシオス〕であり、また《子・ロゴス》という一つのペルソナに於いて神性と人性は結合し統一されており、両方の性質は分離していないというエフェソス信条に土台を与えると共に、危機に晒された聖母マリアの称号《神の母》を必死に守り抜いた。


 それなくしてどうやって異教の女神崇拝に対抗できただろう。
 できたてほやほやの聖母マリアの聖性を権威づける火急の必要性が彼らにはあった。
 ネストリオスは恐らくそのためにはどうしても倒さねばならぬ敵であった。


 聖母マリアを守れ。外で怒号するアルテミスの信者どもに付け入る隙を与えるな。


 実際このとき、会議場は《エフェソスのディアーナをわれわれに!》という叫びを発する市民のデモ隊に取り囲まれていたのだった。


 デメトリオスの魂はまだ死んでいなかったのだ。