Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第三章 蒼蝿の王 3-4 光とそれを覆う月

[承前]


 Dogmaとは全く犬の言葉(dog's words)であり、それが神の世界(God's world)を覆い隠している。そして、ここにもまたLの文字が、言葉を世界に綴り変える奇妙な幻術のなかで機能していることを見て、わたしは再びただならぬ思いに囚われる。
 しかもLはここでRの文字の後ろから不意に突き出して、まさに《言葉》から《世界》を創造しているのだ。
 キリスト教のドグマそのものを忠実に反復し、また麗々しく上演するように。『ヨハネ福音書』はその冒頭を輝かしい次の言葉で開始する――。


 《原初にロゴスありき、ロゴスは神とともにありき、ロゴスは神なりき》


 或いはまたそれを《原初に光ありき》と言うとしても、初めに来る文字、《頭》に来る文字、イニシャルは、腹立たしくも常に《L》なのだ。
 L――ロゴス(LOGOS)の頭文字であり、また、《光》(Light)の頭文字のL。
 あたかも、《右》(Right)の頭文字のRを切り取ってその首をすげ替えるようにして、《光》は生ずる。この切断された頭部の問題。斬首-去勢-そして割礼の問題。
 それを命じるのは《法》であり、その頭文字もまたLなのだ。


 LAWは法律を、そしてモーセの神から託されたという律法(トーラー)を意味する語である。だが、モーセの《神》とは、それは一体本当は誰であるのか?


 『出エジプト記』にはモーセの出自についての訝しい記述がある。
 かれはレヴィ族の出であるといわれる。LEVI――またしてもLだ。
 Lは彼の父の部族の名、そのイニシャルであり、このLの文字によってモーセはヘブライ人たちと結び付く――契りを結ぶのだ。
 契る――千切ってから再び結び付けること、そして束ねること(約束?)――まるで刈り取られた《麦の穂〔シボレート》を束ねるかのように。


 《契約》というこの行為のなかで、何が切り離され、そして何が結び付けられたのか。
 縁を切られたのはR(エジプトの太陽神ラーのイニシャルにしてファラオの家を暗示する文字)であり、縁を結ばれたのはLに対してではなかろうか。
 そしてまたL(左)の世界――一神教の世界はまさにモーセのエジプト脱出、Rの世界を離れ去る、離れ去ったことから正しく発しているのだ(leave→left)。


 Lの世界にあっては当然のことながら、『創世記』は光源の創造に先立つ光の創造を主張している。
 それは創造の初日の出来事であり、光源となる太陽及び月の創造はようやく四日目に入ってからだ。
 光は光源から切り離された処に自存するものとなっている。


 しかし、光は完全にその光源から切り離されたところで輝き続けることができるだろうか。
 そのような光のイルミネーションとは、病み衰えて、やがて闇の世界に転じるのではあるまいか、光が太陽から臍の緒を引き千切るように千切り取られるのであれば、そのように聖別された光は去勢された光ではないだろうか。


 光(LIGHT)の背後には一条の光線(RAY)が横たわり、光源へと続く。Lによって遮られた光源に。あたかもそれは月(LUNA)によって太陽が遮られているかのように。


 皆既日蝕の光景だ。


 こうしてわたしはふいに、Lの世界のただなかに再び、彼女を見いだす。
 Elle=ALであるところのエル、アルテミスの神を。
 彼女はここで黒い月の姿をとっていたのだ。
 その黒い姿の故に見えぬものとなって。


 天地創造の瞬間とは、三日も続いた皆既日蝕であったのかもしれない。
 黒い月はやがて太陽をその背後から生み出す。
 それはアポロンが分娩される瞬間であり、そして彼はやがて母なるアルテミスを己れの妹として照らし出すだろう。何故なら日蝕のとき、月は全く見えぬもの――新月の姿をとるからだ。
 暗黒の不可視の月。そしてあなたはその徴のもとに生まれた。

 皆既日蝕〔トータルエクリプス〕。あらゆる天文現象のなかで最も荘厳な光景を昼の陽最中に引き起こす、この《合》のなかの《合》。
 そこで太陽と月が大いなる不可視の暗黒のなかで抱擁しあい、神秘的な《一》(ウニオ・ミスティカ)への融合を果たす聖婚(ヒエロス・ガモス)の刻〔とき〕。
 空の貴夫人である月〔アルテミス〕は、彼女自身の姿(或いは名)を《L》または匿名の《彼女》という代名詞のマントで隠しながら、彼女の伴侶であり、彼女を照らし出し、そしてAGRAという彼女の秘められた名を齎す文字《R》でもある太陽〔アポロン〕に忍び寄り、ふいにその闇のマントを広げて彼をその内側に抱き包んでしまう。


 このとき、するりと右と左が入れ替わり、この交差の手前で不意に天体の逆行運動が始まるように、男と女の、天の御柱を廻る回転方向が反転していることにわたしは気づく。


 今、女神アルテミスが右から左に移り変わって、男神ヤハウェが幻のように左側から姿を消し、くるりとターンした彼女の差し伸べる空いた手を取るように、別のダンスパートナーが彼女の陰から手品のように右側に現れて彼女へとお辞儀する。若い男アポロンの姿となって。それは男をすりかえるアルテミスの奇術のよう。今、女がLを、左回りを回り、男がRを、右回りを回っている。


 これで種明かしが済んだのだろうか?


 だが、何かがまだわたしのなかで黒くずっしりとわだかまる。一見、LがRを覆うというこの分かりやすい構図によってからくりが露見したかに見えながら、けれども、この瞬間にこそ、黒い謎の衝撃がずっしりと鈍く伝わってくるのだ。


 アルテミスはこの種明かしの行為のなかでこそ、最も人目を欺いているのかもしれない。
 LAW(法)のヴェールの背後に隠されたRAWつまり生〔なま〕の、自然のままの世界の赤裸々な姿を、アルテミスの裸身を、これでたしかにわたしは見たのだと思うのは錯覚に過ぎず、まんまと粉飾〔めくらまし〕に成功したこの処女の売春婦・アルテミスの神はこのとき、してやったりと蔭でペロリと舌を出し、浅知恵のものを嘲っているのかもしれないのだ。


 ひとつの不可視のものが別のものを不可視にするというこの皆既蝕の構図がわたしを不安にさせる。
 わたしは天の御柱の陰で本当は何がなされたのかを知らない。
 アルテミスはその神秘のヴェールを落とすどころか、自分自身を隠しながら別のものをもヴェールに包んでしまっている。包まれたものは太陽ばかりではなく、このわたしもまた謎の袱紗にまんまと包まれてしまったのかもしれないのだ。


 ……ここにひとつの疑いが生じる。すりかえられたのは男神なのではなく、女神の方であるのかもしれない。男と女の回転方向の転換はなく、右回りは右回りのまま、左回りは左回りのままに変更もなく続いているのに、表向きだけは一種の奇妙なコペルニクス的転回ともみえる芝居をうつために、御柱の蔭-地軸の蔭の楽屋裏では、ただ《神(AL)》の仮面の交換が行われただけなのかもしれない。


 R=アポロン・L=アルテミスから、L=ヤハウェ・R=アグライア(悪魔となったアルテミス)へのこの転回の舞台裏では。