◆出来事-風/不可能性〈ありえない〉
◆様態=情動(pathos)→様相(modality)→モデル(model)
◆出来事と行為/行為者性(agency)と主体性の差異
能動activityと受動passivityの分裂
◆不可能性→必然性:無限の半径radius/不在:放射能の被爆→可能者(可能性の中心)の誕生/存在獲得(在り得るが故に在る)→放射能の我有化/無による影響の除去:潜勢態への再命名→potential-energyを背景にして、radio-activityが局在化されて能動性activity(actus)になる。
◆非他者からagencyを剥奪すること。出来事をわたしから出て来ること(わたしに出来ること)にすること。不可能性を能力potentiaと可能性possibiliyに分割すること。能動的主体はactualityをactivityにすることによって生じる。あるいはagencyを出来事から剥奪して自己に帰属させることによって事後的に支配する。
◆出来事は何処から来るか。
それをわたしから出て来ることにする(出来ることにする)。
出来事は何処からともなく出て来る(過ぎ去る)。
出来事の源をわたしへと定位する。
主体はこの場合、行為者(出来事の代理人)である以前に場処(トポス)である。
◆能動的行為の以前に出来事の責任を負わされる受動的主体が他者によって形成される。
◆出来事をわがことへと引き受けることで能力的主体が形成される。わたしは出来事を所有すると看做される。
ただしそれは全面的に他者によってされるのではなく、自己からの承認がいる。身に覚えがなければならない。
◆誰がそれをやったのかの追求。意見が分かれる。わたしがやったと主張しても他者が認めない。他者がわたしがやったと主張してもわたしは心外なので認められない。さもなければ神がやったのだ。
◆倫理的問題。責任主体。犯人は誰だ。倫理学以前の犯罪学の問題。出来事の窃盗。
◆しかしまた出来事からわたしは出て来る。
とはいえそれはまだわたしではなくて〈この〉である。
◆〈この〉を〈この私〉にするには、それ以前に〈非他者〉がいなければならない。他ならぬは誰か、それは〈この私〉だというとき、非他者は消される。
◆だがそれ以前に〈この私〉でない〈私〉がある。
そうでなければ〈私は誰か〉という問いは不可能である。
◆〈この私〉(誰か)である以前に〈私〉は誰でもない人として構成されていなければならない。それは一種のノーボディである。
◆偶然的私・可能的私・必然的私・不可能的私という私の四つの様相がある。
◆ありえない私(不可能的私)→他者のようではありえない私(必然的私)
◆必然的私は、しかし、非他者としての不可能的他者である。他ならぬだけであって、まだ私だとはいえない。
◆〈これ〉は他ならない。しかしその〈これ〉はまだ引き受けられていない。
◆他者は可能とならねばならない。
可能性とはありえないことはありえないという不可能性の不可能性であると同時に、必然性の中断でもある。
不可能的他者が他者の可能性へと転換する。
しかしそれは私が他者でも有り得るということ、私の他者でも有り得る能力として可能的他者が生じる。
◆わたしは他者でも在り得る(可能性)。しかし〈これ〉は他者ではありえない。
◆わたしは他者でもありえたかもしれないがしかしこれであるとき、わたしは他ならぬこの私となる。柄谷における自同律の不快。あるいは自同律の偶然性。
◆現実的私は偶然的私としてしかありえないものとして構成されねばならない。
◆偶然的私は必然的私のうえに根付いている。
◆〈態〉=pathos/風流→〈度〉=modos/流儀:態度変更
◆passer/超越=過ぎ去り(通過=受動=過去)超越論的審級(instance=passé)の生成
◆風(風力=風速)/〈態〉とは受動性=不可能性である。
◆不可能性から必然性が生じる。〈他のようでは-ありえない〉
◆必然性における非他者の形成。非他者は不可能的他者というべきものである。
◆非他者は〈必然的なもの〉であり、主体(主語)性なき行為者性の様相である。
◆不可能性→必然性→可能性→偶然性への様相概念の順次生成。
◆非在→不在→否(無)→否定
◆非他者→別人→自己→他者
◆能動的知性/潜勢的(可能的)知性/獲得知性/現勢的(現実的)知性
◆可能性は存在獲得(有り得る)である。
可能者=存在者としての自己(習性の基体としての自己)の獲得/自己とはエートスである。
自己というモード(流儀-習俗)の固定化。わたしが〈このわたし〉であることは学習されたものである。
自己は〈度〉である。
◆passer→passé(pathos/topos)instance(insister)→instant=présent
◆important=diaphora/空の充填
◆不可能性。さもなければ不可能であるというとき、この〈さもなければ〉から他者の観念の元基が生じる。
◆必然性は、他者の他者であるから自己である前に非他者なのだ。非他者は必然的である。さもなければ私は不可能である。 しかし非他者はまだ私ではない。
非他者は必然性として〈さもなければ〉によって最初に運ばれる場処であり、最初に生まれる選択肢だ。
◆「他ならない」は「さもなければ不可能」と同一的なのではなくて背反的な選択肢である。非他者は区別されている。不可能的他者と非他者の間に〈別人〉がある。
◆しかし他者は可能性の段階に入らなければありえない。
◆不可能者から非他者への移行は様相としてしかありえないような別人によって媒介されている。
◆別人は非他者を真っ先に与える。別人は他者に先立つ。
◆必然性のトポスにあっても私は非他者をおそらく発見出来ない。
◆可能性への移行。他者は可能性として生じる。
別人はそこでも機能する。わたしの多くの可能性として他者は多様化するだろう。その多くの他者の可能性は他者と他者を差異化する別人の働きがなければ無理である。
◆わたしはわたしであることが可能にならねばならない。しかしそれは多くの他者である可能性から選び取られたこのこれでなければならない。わたしは他者のなかから選ばれた他者である。
◆非他者はこのときになって初めて積極的に機能し得る。非他者は可能的他者から私を引き出す。
◆非他者の機能は恐らくわたしからの他者性の除去なのだ。そのようにしてわたしは創造される。
◆様態=情動(pathos)→様相(modality)→モデル(model)
◆出来事と行為/行為者性(agency)と主体性の差異
能動activityと受動passivityの分裂
◆不可能性→必然性:無限の半径radius/不在:放射能の被爆→可能者(可能性の中心)の誕生/存在獲得(在り得るが故に在る)→放射能の我有化/無による影響の除去:潜勢態への再命名→potential-energyを背景にして、radio-activityが局在化されて能動性activity(actus)になる。
◆非他者からagencyを剥奪すること。出来事をわたしから出て来ること(わたしに出来ること)にすること。不可能性を能力potentiaと可能性possibiliyに分割すること。能動的主体はactualityをactivityにすることによって生じる。あるいはagencyを出来事から剥奪して自己に帰属させることによって事後的に支配する。
◆出来事は何処から来るか。
それをわたしから出て来ることにする(出来ることにする)。
出来事は何処からともなく出て来る(過ぎ去る)。
出来事の源をわたしへと定位する。
主体はこの場合、行為者(出来事の代理人)である以前に場処(トポス)である。
◆能動的行為の以前に出来事の責任を負わされる受動的主体が他者によって形成される。
◆出来事をわがことへと引き受けることで能力的主体が形成される。わたしは出来事を所有すると看做される。
ただしそれは全面的に他者によってされるのではなく、自己からの承認がいる。身に覚えがなければならない。
◆誰がそれをやったのかの追求。意見が分かれる。わたしがやったと主張しても他者が認めない。他者がわたしがやったと主張してもわたしは心外なので認められない。さもなければ神がやったのだ。
◆倫理的問題。責任主体。犯人は誰だ。倫理学以前の犯罪学の問題。出来事の窃盗。
◆しかしまた出来事からわたしは出て来る。
とはいえそれはまだわたしではなくて〈この〉である。
◆〈この〉を〈この私〉にするには、それ以前に〈非他者〉がいなければならない。他ならぬは誰か、それは〈この私〉だというとき、非他者は消される。
◆だがそれ以前に〈この私〉でない〈私〉がある。
そうでなければ〈私は誰か〉という問いは不可能である。
◆〈この私〉(誰か)である以前に〈私〉は誰でもない人として構成されていなければならない。それは一種のノーボディである。
◆偶然的私・可能的私・必然的私・不可能的私という私の四つの様相がある。
◆ありえない私(不可能的私)→他者のようではありえない私(必然的私)
◆必然的私は、しかし、非他者としての不可能的他者である。他ならぬだけであって、まだ私だとはいえない。
◆〈これ〉は他ならない。しかしその〈これ〉はまだ引き受けられていない。
◆他者は可能とならねばならない。
可能性とはありえないことはありえないという不可能性の不可能性であると同時に、必然性の中断でもある。
不可能的他者が他者の可能性へと転換する。
しかしそれは私が他者でも有り得るということ、私の他者でも有り得る能力として可能的他者が生じる。
◆わたしは他者でも在り得る(可能性)。しかし〈これ〉は他者ではありえない。
◆わたしは他者でもありえたかもしれないがしかしこれであるとき、わたしは他ならぬこの私となる。柄谷における自同律の不快。あるいは自同律の偶然性。
◆現実的私は偶然的私としてしかありえないものとして構成されねばならない。
◆偶然的私は必然的私のうえに根付いている。
◆〈態〉=pathos/風流→〈度〉=modos/流儀:態度変更
◆passer/超越=過ぎ去り(通過=受動=過去)超越論的審級(instance=passé)の生成
◆風(風力=風速)/〈態〉とは受動性=不可能性である。
◆不可能性から必然性が生じる。〈他のようでは-ありえない〉
◆必然性における非他者の形成。非他者は不可能的他者というべきものである。
◆非他者は〈必然的なもの〉であり、主体(主語)性なき行為者性の様相である。
◆不可能性→必然性→可能性→偶然性への様相概念の順次生成。
◆非在→不在→否(無)→否定
◆非他者→別人→自己→他者
◆能動的知性/潜勢的(可能的)知性/獲得知性/現勢的(現実的)知性
◆可能性は存在獲得(有り得る)である。
可能者=存在者としての自己(習性の基体としての自己)の獲得/自己とはエートスである。
自己というモード(流儀-習俗)の固定化。わたしが〈このわたし〉であることは学習されたものである。
自己は〈度〉である。
◆passer→passé(pathos/topos)instance(insister)→instant=présent
◆important=diaphora/空の充填
◆不可能性。さもなければ不可能であるというとき、この〈さもなければ〉から他者の観念の元基が生じる。
◆必然性は、他者の他者であるから自己である前に非他者なのだ。非他者は必然的である。さもなければ私は不可能である。 しかし非他者はまだ私ではない。
非他者は必然性として〈さもなければ〉によって最初に運ばれる場処であり、最初に生まれる選択肢だ。
◆「他ならない」は「さもなければ不可能」と同一的なのではなくて背反的な選択肢である。非他者は区別されている。不可能的他者と非他者の間に〈別人〉がある。
◆しかし他者は可能性の段階に入らなければありえない。
◆不可能者から非他者への移行は様相としてしかありえないような別人によって媒介されている。
◆別人は非他者を真っ先に与える。別人は他者に先立つ。
◆必然性のトポスにあっても私は非他者をおそらく発見出来ない。
◆可能性への移行。他者は可能性として生じる。
別人はそこでも機能する。わたしの多くの可能性として他者は多様化するだろう。その多くの他者の可能性は他者と他者を差異化する別人の働きがなければ無理である。
◆わたしはわたしであることが可能にならねばならない。しかしそれは多くの他者である可能性から選び取られたこのこれでなければならない。わたしは他者のなかから選ばれた他者である。
◆非他者はこのときになって初めて積極的に機能し得る。非他者は可能的他者から私を引き出す。
◆非他者の機能は恐らくわたしからの他者性の除去なのだ。そのようにしてわたしは創造される。