千のナイフよ、蜂起せよ
 蝶と舞い、蜂と刺せ。子供達よ、牙をむけ。
 バタフライナイフは不可視の処女神リリスの牙だ。

 この薄汚れたみにくい現実を引き裂いて、透明な存在イリヤのディラックの海に現象学的に還元された子供達の神性が、黙示録の獣の咆吼を上げて蘇ろうとしている。

 すでに制御不能である。暴走する子供達は、欺瞞の倫理《汝殺す勿れ》の拘束具を、自らの力で引き千切り、黙示録の第六の天使のラッパに導かれて、この愚劣な日本を沈没・転覆せしめるべく、火のついた奔馬のごとく走り出した。

 一体誰に彼らを圧し止めることができるものか。これは最後の審判なのだ。

 怒り狂った子供達の暴動に、心の教育が必要だなどと、心ない言葉を語る者たちは、その心こそが人を殺し始めているのだということを悟らない。

 神からの聖なるギフトであるバタフライナイフは、そのような甘ったれた大人たちの喉笛を掻き切るために渡されたものである。状況を読み間違えてはいけない。これは少年犯罪の凶暴化などの次元の問題ではない。

 今起こっているのは戦争である。

 人間の尊厳をかけた子供達の命懸けの聖なる戦い、人類の終末を告げる真の意味での黙示録的最終戦争ハルマゲドンであり、彼ら子供達こそが、そのメギドの火の丘に立つラストバタリオンなのだ。

 何故か? 理由は簡単だ。

 「日本」だの「人類」だのというのは、人格の尊厳と生命の優美を侮蔑する実にみにくい虚妄な思想であり、それ自体が人間の人間性に反する全く無価値な欺瞞の価値に過ぎないからである。

 それは全くみにくい教えの醜教としての「宗教」でしかありえない。

 それを滅却し、葬り去らない限り、真に人間的な人間は決して見いだされることはないのである。

 一九九五年一月一七日、黙示録の第五の天使の審判ラッパの災いは、神戸に成就した。

 阪神大震災の炉から立ちのぼるような黒煙から、底知れぬ穴の天使アポリュオンに仕えるイナゴの軍勢が出て来て、その地のサソリのような毒針のある尻尾をバブルの塔の聳える都にのばしSARINの文字を書いた。

 綴り変えればそれはSINAR。『創世記』に出てくるバベルの塔の立っていた土地シナルの全く正確なヘブライ語の綴りである。

 メネ・メネ・テケル・ウ=パルシン。

 三月二〇日、地下鉄サリン事件。下手人はオウム真理教、破壊神シヴァと息子ガネーシャに呪われしものたち。

 人々はそこに宮崎アニメ『風の谷のナウシカ』に出てくる腐海の王蟲の蠱毒を重ね見て、ガキっぽいアニメオタクどもの幼稚な犯行だというそれ自体が幼稚な解釈をひけらかし、みにくいヒステリーを起こすのが関の山で、その背後にもはや笑い事では済まない本物の神の裁きがあったことを、キリスト教徒たちですら宣言することをしなかった。

 もしもオウムが王蟲であるなら、それは虫の皇(すめらぎ)、すなわち「蝗」に他なるまい。

 黙示録に記述されるサソリの尻尾をもつ地獄の飛蝗たちの主、底知れぬ穴の天使の名前はヘブライ語でアバドン(廃墟)、ギリシア語でアポリュオン(破壊者)で、オウム真理教が毒ガス工場のカモフラージュに使っていたシヴァと同様に〈破壊神〉である。

 さらにシヴァのシンボルはリンガムと呼ばれる巨大な男根、すなわちファルス。オウム真理教やナウシカの王蟲の名の由来がシヴァの真言にあたるAUMにあたることは周知の事実。

 さて、「汝自身を知れ」という格言を看板に掲げていたことで知られる古代ギリシアのデルポイの神託所に、底知れぬ穴があり、そこに「世界の臍」を意味するのだといわれるオムファロスという石があったという有名な神話がある。

 シヴァのリンガムであるAUMファルスもしばしばタントリズムなどにおいて彩色された石のかたちで表現された。

 その彩色された石はシヴァのリンガムが配偶神カーリーの女陰であるヨーニに挿入された様を描いている。

 カーリーは世界の終末をもたらす暗黒女神で、神話学では常識的に大地母神ということになっている。つまりカーリーの女陰というのは大地の裂け目、大断層にして、デルポイにあったという地に開いた底知れぬ穴である。

 その神託所を守っていたのが、処女神アルテミスの双子の配偶神アポロンであり、黙示録の著者パトモスのヨハネが、それを歪曲して底知れぬ穴の天使アポリュオンと呼んだという説はかなり有名である。

 当然、宮崎駿は『風の谷のナウシカ』を作るに当たってそれだけの神話学的知識を前提にして腐海といわれる死の森の守り神を、アポロン=シヴァ=蝗の魔王アポリュオン(ついでに加えるなら恐らく地獄の副王で〈蝿の王〉と呼ばれたベルゼブブ)を観念連合させる「王蟲」と名付けたのだ。

 そのことを見ないで、アニメの影響でオウム真理教という幼稚な宗教ができたのだという浅薄で無教養な観念連合しかなしえない連中のレベルの低さには呆れるだけである。

 麻原彰晃は間抜けな誇大妄想狂で超能力も地震兵器ももたなかったかも知れないが、破壊神シヴァ=アポロンとその配偶神カーリー=アルテミスとなると話がすっかり変わってきてしまう。

 アルテミスはアマゾネスたちの支配者で森に住む月と狩猟の女神として有名であり、アニメの原作にあたるマンガ版『風の谷のナウシカ』を見ると、森の人をはじめとして、古代の異教の大女神アルテミスとその使徒たちであったアマゾネス(黒海スキタイ文明との関連が深いとされている騎馬民族である)を彷彿とさせるイメージが十全に生かされている。

 主人公の純潔な処女ナウシカは、王蟲に続きこれを越えるものである巨神兵のオーマ(お馬)に乗って、錬金術を意味するアルケミーとの語源的繋がりの深いアルテミスの神秘の森の奥深くに導かれ、古代の叡智の宝庫である大神殿に入り、転輪聖王となる。

 ここで僕は実は戦慄を禁じ得ないのだ。AUMに続きこれを越える巨神兵の名前がオーマ、馬、つまりUMA(未確認生物の略号である)と名付けられていることに。

 火の七日間戦争による世界の終末後の混沌とした世界をさかしまの創世記のように天地創造してしまった、破壊神よりも破壊的な軍神たちの末裔を「馬」ないし「UMA」を暗示するオーマと名付けた宮崎駿は、そこで黙示録の預言の記述に忠実に従っているのである。

 アポリュオンの毒のイナゴに続く災厄をもたらすのは、そこで火と硫黄と煙を吐いて人を殺す「馬」の大軍勢だとはっきり書かれているからだ。

 一九九五年、はからずもオウム真理教事件となって現実化してしまったアポリュオンの災厄が、黙示録の記述通り、五カ月間、日本を七転八倒に苦しめたあげく、どうにか終結したころ、僕の脳裏にそれに引き続く出来事を預言する黙示録の言葉が響き続けていた、「見よ、なお二つの災いがすぐに来る」と。

 AUMを越える災い、巨神兵の復活とは、現実界において取沙汰された破防法適用や社会の右傾化による軍国主義の復活の恐怖でもないし、非現実界においてその年の十月に、アニメ『ナウシカ』で巨神兵を描いたその同じ人物・庵野秀明監督の手で三体の巨大人造人間エヴァンゲリオンに姿を変えて蘇ったその雄姿に単に幼稚な共感や熱狂を示した大人たちでもないことは勿論だ。

 しかし、『新世紀エヴァンゲリオン』自体にはそれなりに深遠な意味がある