他人の節穴を通して自分を見てはならない。それは〈死〉を意味する。
 他人の節穴とは〈別人〉のことである。

 〈別人〉は〈他者〉ではない。却って〈他者〉を失わせるものである。
 それは猫のないニヤニヤ笑いのように、顔のない問いつめる眼差しであり、他者なき空なる他者性を漂わせる、恐ろしいものである。それは底無しの心の闇、そこには誰もいない鏡の空洞、万物の絶滅の果て、全き虚無に凍てついた絶対零度の宇宙の極北である。
そこに圧倒的に全てを滅ぼし破壊し去る限りもなく峻厳で冷酷な何かが聳え立つ。それを見る位なら死んだ方がましだという程にひどいもの、耐え難いもの、拒まねばならないもの、あってはならないもの、信じられないもの、けれど、それを決して無くすことはできない。あってはならないものがあり、いてはならないものがいる。

 別人がそこにいる。そこに、悪魔が立つ。

 別人というのは形而上学的悪魔である。
 それは他者に似て非なるものである。
 別人は実体的に存在しない。それは厳密に非存在者である。
 それは純粋に様相としてしかありえない怪物である。
 別人は〈欠自〉であると同時に〈欠他〉である。

 この決してありえないものは、しかし、それにも拘わらず自己と他者の存在に先立ってそれを黒い乗り越えられぬ壁で塞ぐ。

 哲学的には一般に、〈別人〉は非人称的で顔のない他者性だけの他者という風に極めてまだるっこしいわざと分かりにくくされているような言い方で規定されている。
 しかしこの言い方はよくない。他者と別人は類義語でも明白に意味が違っている。

 別人は他者の概念から理解することはできない。
 端的に誰でもない者を意味する別人は、誰かである者を意味する他者とは全く切り離された様相でしか考察できない。

 他者は自己に対立する概念である。
 これに対し別人は同一人物に対立する概念である。
 それは違う人という意味である。

 例えば英語には無を人格化したノーボディという架空の人物が存在している。
 別人もややこれに似ている。
 しかし無人と別人は同一人物とはいえない。
 無人は人に憑かないが、別人は人に憑くという妖怪学的相違点があるからである。
 そして別人は無人にさえ憑くという恐ろしい魔力をもっている。

 他者などというものは全く問題ではない。別人こそが問題である。
 別人は自他の間を横切るひとつの危機的な様相である。
 別人は自己でもなければ他者でもない。
 人間にとって根源的な人格様相は、世人でないのは勿論のことだが、自己でもなければ他者でもない。それはかの恐ろしきもの――別人である。