二値論理学は、[存在/無][真/偽][肯定/否定][自己/他者][現実/非現実][A/非A][1/0]というような、二項対立的=第三項排除的図式によって全てを割り切る選言的な二元論である。
 これを根底的に成り立たせているのは自同律・矛盾律・排中律の三つの論理律である。

 それはパルメニデスの命題「存在は存在する」に表されるような存在の自己同一性の思想に淵源している。
 そして、パルメニデスの存在の自己同一性の思想は、思考と存在の同一性の思想を前提にしている。

 思考と存在の同一性は存在の自同律に先立ち、それと同じ水準にはないものである。
 また同一性の意味も違っている。

 存在の自同律は、存在がそれと同一者であるところの存在と同一であること、つまりA=A(A→A)である。
 これを水平的同一性と仮称するとすれば、思考と存在の同一性は垂直的同一性としてそれを下から上へ支え根拠づけている超同一律であるといってよい。

 そこでは思考という存在とは明らかに異なるものが存在へと「理由-帰結」の仮言的分節構造をとりながら同一化を果たしている。つまりX=A(X→A)である。
 これに対し、存在の自同律のA=Aは定言的である。
 また仮言的に見える思考と存在の超自同律は、非在ではなく存在を選び取る選択的な同一化であることを当然に含ませているからには選言的である。

 思考と存在の同一性(X=A)であって思考と非在の同一性(X=非A)なのではない。
 思考は己れと同一者として何を選ぶかという選択問題に対して、
 
 ①何も取らない(φ)
 ②存在を取る(A)
 ③非在を取る(非A)
 ④存在と非在を取る(A、非A)

 の四通りの答え方をすることができたと考えられる。

 つまり、

 ①存在も非在もしない
 ②存在する
 ③非在する
 ④存在し且つ非在する

 のどれか一つである。

 ここで①と④は実際上は同じことである。
 存在しないことは取りも直さず非在することである。
 非在しないことは取りも直さず存在することである。
 何故なら存在と非在は矛盾概念だからである。
 矛盾概念であるからには両者の間に共通部分があるわけはない。
 そして存在と非在の総和は全体にそのまま一致するので、存在と非在のどちらにも属さない外部があるわけではない。