別人とは何か。
 別人は自己でもなく他者でもない。
 それは存在せず、また関係することもできない。
 それは自己の不可能性であり、他者の不可能性である。

 それは存在しないからには存在論的にそれを問い詰めることはできない。また、それとの間に関係が成り立たないのだから、倫理学的には勿論のこと、関係論的に問い詰めることもまた不可能だ。

 だが別人は誰もがそんな人間は存在の地平にも関係の地平にもいないことをよく知っているというのに、幽霊を恐れるより以上に生々しく別人を怖がる。別人というこの形而上学的存在は普通の意味で存在するとはいえないにしても、存在するのとは違う仕方で何かしらいるような存在なのだ。

 「あなたはまるで別人のよう」と言うときに、確かにその人は別人なるものを見ている。
 いや、わたしはわたしだ、わたしは別人ではない、とわたしは怯えて瞠られたその人の黒く凍りついた瞳から、そのいもしない別人とやらいう幻を取り除きたかった。だが、わたしはわたしだという言葉がこのとき程無力に空転するときはない。

 わたしはその別人に勝てない。わたしはそのときにその別人に殺されてしまっている。わたしはわたしだというそのわたしは別人なのだ。その怯える人にはそのわたしである別人しか見えず、このわたしは何かしら決定的な仕方で見失われてしまっている。

 そのときに、わたしもまたその人を見失いかけている。その人もまた別人のように見える。別人、あの不思議な青白く冷たく光る幻なき幻は一体何なのか。
 青白い光がその人を包んで得体の知れぬよそよそしさに連れ去ろうとする、まるで別人という虚無の懐に不意に連れ戻すようにして。
 わたしはそのときにわたしであることができるのだろうか、他者は他者であることができるのだろうか。

 わたしたちの間で世界が壊れてしまう。

 空間が紙のように破れて二度とは戻らぬ分裂に向かって黒い無の真空をあらわにしながらその恐ろしい息苦しさの圧迫感でわたしたちの仲を引き裂く。
 
 そのときに、別人の大いなる不可視の影が通り過ぎる。

 わたしたちは互いの姿を見失いながら悪魔を見る。
 別人は悪魔だ。自己の自己性・他者の他者性を同時に崩壊させるこの無貌の形而上学的悪魔は、しかし、それにも拘わらず誰でもない誰かであり、人間でしかありえない妙に生々しい観念の現実的悪霊なのだ。

 別人は人を別ける。それは人を別れさせる。
 別人の横切りは他者を自己から引き離していってしまう。
 別人は自己を破壊し他者を破壊する。
 だがその姿は見えない。
 別人それ自体は深く抉られた無の黒い傷痕や底知れぬ真空の深淵をぽっかりと開いた裂け目であるとしかいえない。

 人間というものが人と人との間を意味するのだとすれば、別人はその間の破壊的切断であり、その間の言いようのない悪さであり、その間が気詰まりで耐え難いまでに持ち切れないという猛毒の不快感であり、その間それ自体の不可能性、つまり人間の不可能性であるような人間なのだ。

 別人は絶望的なまでにありえない人間だ。
 非人間であるというより遥かに積極的で強烈な人間の否定概念であり反対概念である。
 それは人の姿なき姿、影なき影をまとった魔性の来襲であり災厄に他ならないだろう。
 だがこの災厄は何ともいえず得体が知れない。

 別人という人を別けるもの、人を別れさせるものは、それ自体がその場に不在な別れた人であり、失われた人であるように思われる。それもただ別れた人であるだけではなくて、何かしら絶対的に別れた人、別れてしまった人、別れて二度とは呼び戻せぬ人のことではないのか。

 別人はその到来を拒否しなければならない苦痛に満ちた存在である。それにも拘わらず、別人という者は決してやってきはしない絶対的に到来から拒みきられた存在、絶対的に面会謝絶された不可能な人間であるとしかいえない。

 わたしたちは別人が何者でもないということ、どこにもいないことを知っている。だが、それなのに何故、わたしたちは「まるで別人のよう」と言うのだろうか。
 「まるで別人のよう」とは一体どのようであるというのか。それをわたしたちは説明できない。言葉はそこで閊えてそのまま途切れてしまう。
 そうやって常に別人は行方知れずになってしまう。わたしたちは別人という絶対に会ったことのない筈の人にまるで会ったことがあるかのように、他者をその他者ならざる見知らぬ者に譬えてしまう。これほど怪奇な比喩行為というものがあるだろうか。その見知らぬ者をわたしたちは見知り得ぬにも拘わらず既に見知ってしまっているとしか考えようがないのだ。

 別人は他者ではない。全ての他者を数え上げても別人であるようなその人を見いだすことはできない。
 別人は他者の集合には含まれない。
 その絶対的に見知らぬ者は、他者ならざる者である。

 だがそれは他ならざる者であるとはいえない。
 他ならない者は、例えば自己であったり、あれこれの他者であったり、誰か具体的にそれと同一化する実体的な引き受け手がいる。

 たとえば或る人を指して「あなたはまるで別人のよう」というときに、確かに「別人のよう」であるのはその人なのだが、その人がそれで別人になるという訳ではない。
 その人は決して別人にはならない。
 その人は別の人ではなくてその人自身でだけありつづけるのだ。
 わたしは「別人」をその人に帰属させてはいないし、その人もまた「別人」を引き受けている訳ではないのだ。
 「別人のよう」というその別人はそのときに宙に浮いている。別人に他ならない者などどこにもいる筈はないのである。

 通常、「他ならない」というときには、何かがそれ自身に他ならないのである。他ならぬものは、同じもの、同一体であり、実体である。
 他ならぬものは空ならざるものである。
 他ならぬものは常に他ならぬ=このこれであるところの何か実体的なものに具体化している。