〈もの〉と〈こと〉の区別についての論議が、
一九八〇年代初頭、廣松渉の「物的世界像から事的世界観へ」とか
「物象化された実体から関係の一次性へ」という標語に
触発されるかたちで一頃沸き上がったことがある。

廣松の議論はマルクスの物象化論を踏まえたかたちで提出されている。
しかし〈もの〉と〈こと〉の対比という問題構成は
何も廣松が初めて言い出したことではなく、
既に倫理学者和辻哲郎が日本精神史の研究のなかで
ハイデガーの存在論的差異に対応する
その日本的表現として考察したものである。
廣松の議論を和辻=ハイデガーの単純な焼直しと見ることはできないが、
しかし、そこには通底するものの見方がある。

廣松の〈こと〉=関係性の議論は、
〈もの〉=〈実体〉=〈孤立した近代的自我意識〉を
前提ないし根拠とした思想を根底から切り崩し、
思考のパラダイムを変えようという基礎論的気運をもつものであった。
この問題意識、というよりベクトルのように
方向性あるいは方針性をもった問題志向は、
非常に戦前の「近代の超克」論と似通っている。

ただ戦前のそれと違うのは廣松がとりあえずマルクス学者であって、
戦前のように天皇を担がないという点にある。
しかしその点にしかないのだともいえる。

廣松はマルクス学者であるといっても
戦前のマルクス主義者のように
反体制的であるのでもなければ革命を叫ぶのでも勿論ない。
逆にむしろ廣松は反動的というのではないが保守的であるといえる。
時代遅れな天皇の代わりに廣松が同化してしまうのは
経済大国日本の株式会社社会であり
その非人称的な役割行為論的システムである。

そして廣松哲学はちょうどバブル経済前夜の
人や物の実体感が薄れ行く一方で
社会関係が巨大に組織的に再編されてゆく
管理社会化の方向に沿ったかたちで
それと平行して広がっていっているのである。

それは戦前のような偏狭で熱狂的なナショナリズムではなく、
老獪でクールな経済主義であるが、
それは単に戦争や侵略や統制のやり方が変わっただけに過ぎない。
その非人間的な本質は少しも変わるものではなかった。

 *  *  *

さて、ルカーチは愚かな甘い夢を見る人々を
その夢から覚ましてやろうという
ご親切でアイロニカルな老婆心から
ノヴァーリスや表現主義やの多くの美しい夢の芸術に
頼まれもしない癖にケチをつけることに熱心だった。

だがルカーチが攻撃するまでもなく
既に芸術の価値も芸術家の地位もその自由も影響力も
落ちに落ちてもはやそこには魔力はもぬけの殻だったのである。

大体、自分で製作をしもしない
単に口のうまいだけの輩が評論家だの学者だのと称して、
それでなくとも乏しい時代の詩人たちを
更に脅かすためにあれこれ大言壮語できるようになったのは、
二〇世紀がニーチェの言うとおり
天才の存在を冗談でなければ許さない
ニヒリスティックな教養の俗物の世紀だったからに過ぎないのだ。

ルカーチは単にそうした低俗な読者どもに媚び、
時代の風潮の尻馬に乗って、真に倒すべき敵に媚び、
虐げられた人々の不満をもっと虐げられた芸術家たちに対して
嫌らしく矛先を向け変えさせただけにすぎないのである。

  *  *  *

それは廣松にしても全く変わらない。
彼はありとあらゆる自明かつ常識的な日常的現実世界を観念的に支えてきた
別に商品でも何でもない人間をも含むあらゆるものを
実体化的錯認と看做して物象化論の応用問題として解体してゆく。

しかし彼にそれがやれるのは
現実的に肥大した管理社会システムがそれにうまく適応するような、
誇りを持たない惨めな関係の奴隷を要求していたからであるに過ぎない。

実体的で己れの意志をもち自由に反抗的に行動する近代的個人主義は
単に大資本や権力機構にとって邪魔であり、
彼らの思い描くあるべき時代の流れから見て、
愚かで滅ぶべき時代遅れなのである。

権力が欲しいのは魂を失った青白い優秀なテクノクラートと
上司の指示に盲従するあなたまかせの絶望的な経済戦士と
規格化されたジャンクフード的商品に
考えなしにカネを浪費するショッピングマシンと化した
軽薄なバカオンナだけであって、
妙に批判がましいことを言ったり、
社会から外れて独自の価値を追及しようとしたり、
国を憂いて奇行を働き陰気で狂った演説をするような、
妙に血の気の多い怒りっぽい「知的でない」・
与えられた役割行為(知的なバカである社会的義務)を遂行しない・
立場を弁えずアキラメの悪い革命家や
己れの人生や真の恋愛があるものと信ずる愚かな文学少女や
世人に埋没することを拒み協調性なく自我に固執する
物分かりの悪い実存主義者たちは、いてもらっては困るのである。

また度重なる社会的国家的弾圧によって、
こうした連中は滅亡寸前まで衰退していたのである。
だからもうこの目障りな奴らを少しも恐れる必要はなかったのだ。

八〇年代初頭、廣松哲学が流行したのは、
テクノクラートと経済戦士とバカオンナの三バカトリオが
「立派な社会人」とやらを合言葉に
彼らの白痴的独善的共同幻想によって
「社会」を自分たちだけによって排他的に代表される
文化記号学的価値(記号の普通的俗物的恣意性=専制帝国)に
すげかえた時代であった。