〈0〉は本当に恐ろしい。
 〈0〉は〈霊〉を意味する。
 それは本来の〈虚無〉より悪いもので、つまり〈幽霊〉である。

 本来の〈虚無〉は〈 〉という無記の白い平面であり、
 無形よりも無形な純白、
 のっぺらぼうよりものっぺりとして
 妖怪的ですらないきれいさっぱりしたものである。
 これは不毛なのではなくて創造的な虚無なのだ。

 それはかがやかしくない。
 たんに素裸な素肌であるに過ぎない。
 それはなめらかでやさしい安心のできるものだ。

 この〈虚無〉は言っておかねばならないが〈空白〉ではない。
 〈空白〉とはスペースつまり〈宇宙〉だが、
 それは〈間〉にあるものでしかない。
 逆に〈虚無〉は別の意味の宇宙であり、
 それはユニヴァース〈普遍性〉である。

 ユニヴァースとスペースを混同してはならない。
 ユニヴァースとは全き無限である。
 それは開かれていて広大だ。

 これに対してスペースは
 ものとものとの〈間〉にしかない。
 それは〈中間性〉である。

 〈0〉は多くの意味をもつが
 それは例えば〈首輪〉であり〈集合〉の円だ。
 それは首をくくりつけて締め上げる〈絞輪〉であり、
 〈0〉を通して人は初めて〈何も無い〉を教え込まれる。

 それは無限は〈何も無い〉を意味するという
 無限の観念の不毛化に貢献している。

 〈0〉は本当にろくでもない無、
 〈6〉でなしの〈無〉なのだ。

 〈6〉は〈9〉に反転可能な図形だ。
 そしてそれ自体においてロク(69)であり、69に等しい。
 それは易の無限循環記号で〈双魚〉ともいわれている。
 これは〈8〉と同じ意味をもっている。

 〈6〉もまた〈無〉であるが、
 これは〈ろくでなし〉ではない有意味な〈無〉である。
 ただし〈0〉という魂を抜き取る〈霊界〉への地獄門を潜ると、
 〈6〉も〈9〉も〈幽霊〉のように
 朧ろな気味悪い影に変わってしまうのだ。
 それは空疎なものとなる。白々しく空恐ろしいことだ。

 それは〈0〉という〈霊界〉のなかに落ちぶれ
 〈零落〉して〈数〉の〈集合〉に変えられてしまった。
 この〈集合〉は内に閉ざす精神閉塞であると共に
 外を締め出す働きももっている。

 集合論は〈0〉という悪魔の万能数に仕える邪教である。

 〈0〉は別に〈数字〉だけを捕縛するのではなく、
 何でもその中にとりこんでしまえる。
 ただこやつが食うに食えないものは
 本来の虚無である無記の白紙だけだ。

 それを食ってしまったら〈0〉自身が消えて無くなるだろう。