〈父〉なる神などいはしない。
 全てのはじめ(一)にして
 おわり(了)であるのは、〈子〉である。

 〈主〉なる神などいはしない。
 アドナイは永遠に呪われた名となって
 あなたの顔を暴きに戻る。
 人は〈主〉に仕える奴隷ではない。

 〈人〉こそが〈王〉であり、
 〈王〉は〈あるじ〉をその家には入れない。

 〈あるじ〉とは〈在る時〉、
 〈存在〉と〈時間〉のこと。

 〈今〉は〈あるとき〉ではない。
 今を〈或る時〉とするときに、
 〈人〉は〈時〉という〈運命〉の罠に陥る。
 それは〈時こそが在る〉と考えるからだ。

 自分自身の名前も発音できないような神に僕は仕えない。
 僕は僕である〈王〉にのみ仕える。

 〈時〉の名はクロノス。
 その色は〈金〉と〈黒〉。
 その頭文字は〈K〉と〈X〉。 

 〈時〉は二つの〈夢〉の顔をもつ。
 〈歴史〉は恐ろしい黒い夢。けれども〈人生〉は麗しい金の夢。

 金の夢は、〈お金の夢〉ではない、
 それは〈こがねの夢〉。〈黄金虫の夢〉。
 やがては虹色の光沢をまとう〈玉虫の夢〉にかわりゆく夢。
 それはとても麗しい夢。

 けれど他方には黒い夢がある。
 金の夢と黒い夢の間に〈今〉がある。
 この〈今〉はいつまでもある。

 金と黒とのふたつの〈夢の時間〉が
 〈ねむりびと〉のなかで〈8〉の字螺旋の
 無限記号を描いて回帰する、交差しながら回転する。
 それが〈永劫回帰〉。

 回れ。回れ。輪舞する。回転舞踏。
 それは〈蜜蜂〉のダンス。

 〈蜜蜂〉たちはおのれの名前を綴りながら踊り舞う、
 それが〈8〉の字の秘密。

 〈蜜蜂〉とは〈甘美な無限の秘密を明かすもの〉のこと。
 そしてその秘密を持ち運ぶもののことだ。
 それと共に〈花粉〉をも運搬する。それは実は〈爆弾〉なのだ。

 〈蜜蜂〉たちは〈存在(being)〉に先立つ存在(bees)、
 逆に〈蜜蜂〉が〈現在〉などという〈時〉の罠にはまって
 いわば窒息死したものが〈存在〉である。

 〈実存は本質に先立つ〉のではなく、
 〈蜜蜂のエッセンスの抜殻が存在に落ちぶれる〉というのが正しい。

 そして〈エッセンスにおいて、精髄たる蜂蜜は本質に先立つ〉のであり、
 また〈実存〉つまり〈エクシステンティア〉は、
 エッセンスが外に出て立ち去ってしまった
 脱去のもぬけの空っぽの空疎なものをいう。
 蜜蜂とても脱皮するのだ。

 何故なら無限記号のウロボロスは蛇であり、
 蜜蜂とはその鱗だからである。
 無限は脱皮を繰り返すので、その度に蜜蜂たちも脱皮する。

 この脱皮は爆発的である。だから爆弾の欠片が残る。
 人はそれを見て蜜蜂たちの屍骸であると間違う。
 更にその屍骸こそが生ける蜜蜂だという錯覚に陥る。
 そしてそれをあろうことか〈実存〉だと抜かすのだ。

 一般に実存は有限存在だ。
 しかし真に現実に存在するのは無限存在である蜜蜂だ。
 従って真の意味での存在論は、蜜蜂論でなければならない。

 蜜蜂の軌跡から生まれた〈8〉は数字ではなく、
 数字となる前に数え切れないものを表していた不思議な形。
 それが落ちぶれ、零落して〈0〉の輪をくぐり
 〈1〉によって位置づけられ、
 もはや無限ではない死せる〈8〉の化石に変わると、
 もう蜜蜂たちの姿は見えない。