わたしは〈うべない〉と言った。
 これは諸手を挙げて賛成だというような意味での
 〈肯定〉と一緒にされては大変に困る。
 そのような〈肯定〉のことを〈万歳〉という。
 これはお手上げ、つまり全面降伏の動作である。
 そんなものは美しくも何ともない。
 〈うべない〉はそれをもってしか
 わたしのいう〈美学〉が成立しない重要な概念であるから
 少しだけ説明しておく。

 〈うべない〉は肯定も否定もしない。
 むしろその中間を優美に通り抜ける風流な微笑である。
 この風流で上品な微笑を
 わたしはユーモアの精神と呼ぶ。

 ユーモアとは優美なものである。
 それは誤って〈滑稽〉などと訳されるべきではない。
 そういう解釈を平気でするような人に一番ユーモアが欠けているのだ。
 わたしはそのようにユーモアというものを
 全く解しない我が国の恥ずべきみにくい文化を悲しむ。

 ユーモアは時として憂いであることがある。
 憂愁であり優雅であるこのものには冷酷という別の顔もある。
 それは愚かな人が
 どうしようもなく愚かなことをしているその手前を
 悠然と貴族的に通り過ぎることである。
 それは嫌味なところのない静かな憐憫である。
 救いようもない愚かなものを
 嘲笑することも許すことも救うことも罰することもしないで
 怜悧にその不可能性の核心を衝くやりかたである。
 そこにユーモアの真の厳しさがある。
 ユーモアとは人を裁くことである。
 そしてその身の程を知らせることである。
 ユーモアとは〈物の分別〉であり、
 また〈もののあわれ〉を知るということである。

 わたしはユーモアを正しく〈風流〉と訳する。
 そして風流の精神であるユーモアとはまさしく
 〈冷酷の精神〉にほかならない。
 
 そしてこの〈冷酷〉は〈残酷〉とは根本的に違うセンスを意味する。
 〈残酷〉は野蛮で下品なものである。
 後に〈酷さ〉の痕跡を残し、
 人に後味の悪い思いを味わわせておいて愉快がるような
 独りよがりな無作法で残酷な人間は毒虫である。
 毒虫というのはしかし虫ケラであり、知性のない白痴である。
 〈残酷〉な人間は人を罠にかけて喜ぶ。
 このような人間はみにくい半端者である。

 〈残酷〉の裏面は常に〈感傷〉である。
 そこには人間は惨めで愚かなものだ、
 そうでしかありえないのだという愚者の独我論がある。

 しかしこの独我論は毒牙論であり毒蛾論である。
 単に己れの我を毒するだけでは物足りずに、
 他者の自我まで毒しようとして牙のような嫌味で人に咬みつく、
 思わせ振りな毒蛾の鱗粉をふりまいて周囲を嫌な気分に滅入らせ、
 そこで自分だけは良い人間のつもりでいるのだから本当に始末が悪い。

 〈冷酷の精神〉はこのような残酷な人間に怜悧な一瞥と
 風流な微笑と鋭い叡智のナイフで忍び寄り、
 一突きにその不可能性の核心を衝いてとどめを刺す。
 後には薄汚い虫ケラの屍骸しか残らない。
 つまりそいつが人間様に化けていたのである。

 〈冷酷の精神〉はこのような暗殺者である。
 神業を起こす風流な神風である。

 しかし、知るがいい。そこには神もいなければ悪魔もいない。
 颯爽として過ぎ去る無言の風があるのみである。
 そしてその風の横顔は美しい人間の顔をしている。
 上品で繊細な、触れなば落ちんという程に可憐で果敢ない、
 少しも怖くも強そうでもない優美なだけの
 どこまでもきれいなあたりまえの人間の顔をしているのである。
 
 この過ぎ去る顔は魔王ではない、過越しのヤハウェでもなく、
 暴風神スサノオでもなく、破壊神シヴァでもない、
 しかしそのすべては本当はこのような
 あたりまえの優美な顔をしていた筈である。
 おそらくカントもそのような顔をしていたことだろう。

 それは人の子の静かな顔である。それは英国紳士そして淑女の顔である。
 ユーモアを解する上品な人々であるレディース&ジェントルマンは
 慎ましい普通の人々である。

 しかし、いざとなったときには彼らほど恐ろしい敵はいない。
 ジェントルマンとは物静かで物腰の静かな地味で優しい男を意味する。
 彼は決して威張らず、でしゃばらず、ひけらかしをせず、悟り澄まさず、
 だがだからといって
 ひねくれたりいじけたり卑下したところはどこにもない。
 どこにいっても自分らしいありのままに自然にのびのびと振る舞い、
 その振る舞いはすべて的確で人に不快を与えない。
 この男は限りもなく平和主義者で己れの分を弁えている。
 しかし戦わねばならぬときには一番勇敢に戦う。
 そして決して風流なユーモアを忘れない。
 引くべきときにはその引き際というのを心得ている。
 無意味な流血やくだらぬ名声や身にあまる宝物には興味がないのだ。
 己れがジェントルマンであるという内的な名誉を
 常に重んじる人間だからである。

 だが、ジェントルマンとは国民でも階級ではない。
 ジェントルマンには誰でもなれるのだ。
 美学はこのようなジェントルマンにしか学べない。