Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 3-10 VALIS

 過去30年間にわたりTVメディアは人々の態度をコントロールする最も強力なファクターのひとつであった。たとえばそれが意図されたものでなかったにしても――実際には巧妙に意図されたものだ――ライター、プロデューサー、TV局の管理職の一般見解だけが、それを観る人たちの間に受け入れ可能な〈常識〉をつくり出していたのだ。もちろんTVが放送する世界は現実とはほとんど、あるいはまったく関係のないものであり、結果として視聴者はこの完璧にでっちあげられたスクリーンの世界に対して落ちこぼれた感情と倦怠感を増大する。ニュースやドキュメンタリーにおいてさえ、大衆は真実と向き合うことはできない。私たちの目的はこの傾向を覆すことだ。
 (ジェネシス・P・オリッジ(サイキックTV)『教団(テンプル)の教理と声明』広瀬理香/富田睦子訳『フールズメイト83年6月号』)


  *  *  *

 ディックは幾らか神憑った人物でよく幻覚を見、また妄想に騒ぐ処があったらしい。
 一九七一年十一月一七日、カリフォルニアの彼の住居に何者かが侵入し、彼のファイルキャビネットを爆破、書斎を目茶苦茶に荒らし、小切手類や文書類が盗難に合うという怪事件があった。
 容疑者としてブラック・パンサーに属していた男が逮捕されたが、真犯人も、またその目的も不明だったという。
 彼はこのときさまざまな憶測を巡らした。
 極右反共主義者のバーチ協会やネオ=ナチ、更に、軍の特殊工作部隊、CIA、当時のアメリカ政府当局の犯行ではないかと話が段々大きくなっていったことが、彼の知人たちのインタヴュー記録から分かっている。
 《ラビ・ニーチェ》の歌のなかで《あなたもまた狙われていた》というのは、このことに触れているのである。

 彼はラジニーシに先立つこと約八年前に他界している(その死は確かに早過ぎるものだったが、持病の心臓発作によるものであり、歌が仄めかすような不審な点はなかったようだ)が、その死の約一年前、《タゴール》というスリランカの聖者を幻視している。

 ディックの視たタゴールは、白い牛を治す獣医で、先端技術を誇るどこかの研究所か組織に所属していた。タゴールは奇妙な火傷のために死にかけていた。原因は、放射性廃棄物をはじめとするさまざまな有毒物質による海洋汚染と地球の生態圏の破壊という人類の罪で、ディックに言わせると、それがタゴールの肉体に重度の火傷として現れるからだった。

 ディックはこのタゴールをキリストの再臨だと言っている。
 また、ディックは自分自身にエリアまたはバプテスマのヨハネが憑依したと信じていたともいう。
  ディックはタゴールを捜そうとしたらしいが、該当する人物は見つからなかったらしい。

 歌には《フィルは知っていた、彼がタゴールであることを》とあるが、ディックは誰がタゴールなのか最後まで知らなかった。
 だが、《ラビ・ニーチェ》は一九八一年のこのディックのタゴールのヴィジョンを、未来に起こるラジニーシの「毒殺」を予見したものであると解釈しているのである。

 さて、その後、ディックは、イギリスの画家ベンジャミン・クレームによるロード・マイトレーヤの宣伝キャンペーンをFM放送で耳にして衝撃を受けている。
 ディックはタゴールの一件を当時ハリウッドにあったマイトレーヤの広報活動の拠点《タラ・センター》に問い合わせている――この《タラ》というのは、金髪の女の話にも出てきたインドの母なる女神の名前である――が、何の返答もなかったらしい。
 クレームにも直接手紙を書き送っている。
 クレームの活動に賛同と大きな興味を表明しながら、そのマイトレーヤというのは、ディックにも昔から女の声で話しかけてきていたヤハウェと同一の存在ではないかと言っているのである。

 ディックは、一九七四年頃から、不思議な中性的な、だが、やや女性にも似たAIの声で、《救済者が帰ってくる》という内容のメッセージをテレパシーによって受け取っていたという。
 彼はこの存在を、ヴィシュヌの十番目の化身クリシュナ、神性アポロ、キリスト、仏陀、不死なるものホモ・プラスマテ等の名前で呼んでいた。

 こうした神秘体験を下敷きに自伝的な奇書『ヴァリス』は書かれた。
 その小説のなかでディックは自分自身を、神憑りのホースラヴァー・ファットと理性的なSF作家フィリップの二重身で示し、救世主の再来である《ハギア・ソフィア》(聖なる叡智という意味)に出会わせている。
 この名称を選んだことからも分かるようにディックの救世主のイメージは、古代のグノーシス主義の深い色合いを帯びていた。

 この救世主ソフィアは幼女で、マザー・グースという名前のロック歌手の娘。
 レーザービームを利用した情報伝達方法の開発者で、一説ブライアン・イーノがモデルともいわれるミニという名のシンクロ音楽のエンジニアの実験の失敗で、レーザーによって焼き殺されてしまう。
 この死因はタゴールの火傷を思わせ、また救済者が幼女であったのは、ディック自身の双子の妹が幼くして亡くなっている辛い原体験に裏打ちされている。
 小説では、幼女ソフィアの死後、主人公は救済者を捜す旅に出掛け、分身である作家はテレビの前に座って神からの新しいメッセージを待ち続ける。
 小説は最後の方で、《幸福の王》を意味する《キング・フェリックス》という名前を暗示的に挙げている。

 神からのメッセージを、マス・メディアのたれ流す卑俗で下らぬもののなかに探し求めるというのは、滑稽で哀れを誘う姿だが、これには訳がある。
 ディックの神《ヴァリス》は、Vast Active Living Intelligence Systemなるものの略名、平たく言うなら一種の宇宙的かつ霊的なコンピュータシステムで、またサブリミナルなメッセージを不思議な電波やピンクの光線に乗せて人間の頭脳に送る情報伝達器でもある。

 『ヴァリス』に先立って、この作品の元型となった『アルベマス』という小説がある。
 そこでは邪悪な黙示録の獣である人物がアメリカ大統領になって秘密警察を使い、弾圧的な政治を行っている。この体制の転覆を図ろうとする一団は、神ヴァリスのサブリミナル・メッセージの入ったロックミュージックのレコードを出そうと画策し、体制側からの恐ろしい妨害を受ける。
 そこで神ヴァリスは、ソヴィエト共産圏側から打ち上げられた人工衛星の姿を取っている。
 権力者たちは当然これを撃ち落とそうとする。

 ところで、マニ教会の神ヴァリスは、人工衛星どころかもっと大きな衛星・月そのものに宿る霊的な知性体で、その名は北欧神話の神、バルドルの復讐者ヴァーリに関連づけられ、余りディックのパラノイアめいたコンピュータとマスメディアを使ったマインドコントロール戦争の妄想には関係がない。

 明らかに《ラビ・ニーチェ》は、ディックの語った意味における《ヴァリス》と彼のさまざまな被害妄想を利用して、アメリカの音楽産業を、マスメディアや巨大資本、更にはアメリカ政府当局とグルになって、自分たちの聖なるロックを脅かし、邪悪な世界を作り出そうとする悪魔の秘密結社の一部として描き出しているのだ。

 フィリップ・K・ディック自身は、《ラビ・ニーチェ》の歌とは違って、ラジニーシではなく、ロード・マイトレーヤを最終的に救世主-彼のいう《キング・フェリックス》と考えていた。デイックはマイトレーヤからのメッセージも受信したと主張している。夢の中で、ディックはマイトレーヤから《アルジュナ》と呼びかけられた。アルジュナとは『バカヴァットギーター』に出てくる人物で、ヴィシュヌの化身・クリシュナの朋友である。クリシュナとマイトレーヤをディックは同一と考えていた。彼は自分をマイトレーヤの盟友と信じていたのである。
 しかし、クレームによるマイトレーヤの本格的な宣教が始まるのを心待ちにしながら、当のディックは心臓発作で一九八二年三月二日、帰らぬ人となった。

 四月二五日、ロサンゼルス・タイムス紙にロード・マイトレーヤの一大宣言文《キリストが今この世にいる》が全面広告で掲載され、わずか翌週の同じ紙面にキリスト教ファンダメンタリストによる反対声明《アンチクリストが今この世にいる》という警告文が掲載されたが、ディックはそのどちらの記事も読むことはできなかったのである。

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 ところで、《ラビ・ニーチェ》のリーダー、ベーシストのエルンスト・エックハルト、通称ロートレアモンに百目鬼が会ったのは、エジプト支局に赴任する直前のことだった。
 ちょうど《誰が和尚ラジニーシを殺したか》が大ヒットした頃、学生運動が物凄い盛り上がりを見せ、あちこちでジョン・レノンやビートルズのポスターが示威活動のために否定と拒絶の炎で焼かれ、日米のレコードの不買運動から騒ぎが発展して、ドイツ国内でのヨーロッパ中心主義的な激しい反米文化革命にまで事が大きくなってしまった、その火の手の中心地のベルリンの《青年の家》。
 インタヴューが終わった後、エックハルトと百目鬼が同い年であることが分かり、一晩を飲み明かした。百目鬼を家に招いたエックハルトは、一九六〇年から一九八〇年頃までの、主にドイツを中心とするヨーロッパの前衛ロックの名盤を幾つも聞かせ、熱く語って、百目鬼の耳を洗礼し、その頭を洗脳した。