Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 3-7 恐怖の大王

Wir sind das Volk (我々こそが人民[民衆]だ)。この危険な町ベルリンで民衆は壁を背にして立ち、今まで渡されないままだった権力のうつろな顔を喜びにあふれてじっとながめている。民衆は権力を一度も握ったことがない。だが、権力は人民[民衆]の名でかくも長い間支配しつづけたので、民衆は自分が権力に没収されてしまったように感じている。権力が民衆の頭を壊し、民衆はでくの坊のようにつっ立っているだけだった。権力は討議というものをしたことがなかった。だから、民衆はもはや権力のいうことを聞こうとはしない。民衆はこの数日の間に、権力が自分の手の中で育っていることを感じていながら、その権力を嘲笑し、だめにしてしまっている。民衆がほんとうに問われるべきではないのか、民衆は、誘惑や甘い言葉でズタズタに引き裂かれている。多数者の権力っていうけれど! 解体されて頭もなくなったもので、それでどうやってやっていけばいいのかわからない。その多数者の権力がいま、我々の方へ飛んでくる。
 (フォルカー・ブラウン「自由の経験」『ベルリン1989東ドイツの民主化を考える会編 大月書店 一九九〇)


  *  *  *

 星条旗よ永遠にはためけ、
 空気清浄機よ煙とスモーカーを吸い込め
 それは一なるガイアのはじまり
 緑の清潔な地球の国旗
 きみたちのエコノミーが世界のエコロジーと合一したとき
 地球のどこかでシズビー・ホルトの球体が弾ける
 それはバブルの崩壊
 エドガー・ケイシーは厳かに言った
 日本は沈まねばならないと
 そして《太陽の昇り〔ライジング・サン〕》はないだろう
 それは容器の破砕
 世界は十分明るくなった
 この星空の不夜城に
 もう太陽はいらないのだ
 世界中に掃除屋が派遣される 
 ありとあらゆる薄汚いものを始末するために
 ぼくは彼らに見られぬよう
 薄汚い石ころを懐の奥ふかくにしまいこむ

 まわりではドイツが甦ったと大騒ぎ
 ひとびとは互いに抱き合う
 それは素晴らしい祭
 だがそれはゲルマンの心の終わり
 物悲しい葬式

 ぼくは遠い日の国の同胞を思う
 アメリカの友人ではなく
 ぼくは遠い昔共にアメリカと戦った同盟国の友を思う
 その国では大いなるタイクンが死んだ
 ぼくはこっそりと言う、天皇陛下万歳と
 ぼくはだがもうこっそりとは言えない、ハイル・ヒトラーとは。

 あまりにも大勢のひとが、
 ぼくのまわりでヒトラーの復活を祝っていたから
 心の変わったスキンヘッドだけではない
 ウインクのうまいお洒落な連中もみんな
 コロンボ親分と一緒にコルテスの復活を祝っていたのだ

 こうしたことすべては本当に大衆の意志なのか――暗くぼくは石に尋ねる
 大衆の仮面の下には本当は何が潜んでいるのか、
 このつかみ所ない闇の底には?
 ぼくらの導師〔グル〕・ミカエル和尚は
 権力の主はいないと教えてくれたが
 ぼくたちは余りにも多くの馬鹿づらを拝まされた
 ぼくたちは知りたい、
 これら滑稽な道化役者どもを退け
 いったい誰がこれらのことを指図していたのかを
 誰が和尚ラジニーシを殺したのかを
 そのノーボダディがどいつなのかを
 ギョロ目のブレイクならきっと知っていただろう
 TVを消せ、
 小賢しいそのおまえのにへら笑いと共に
 そして暗闇のなかでおまえのロスに話しかけるのだ
 どうすればロック・ロビンを殺したチェシャ猫の
 へらへら笑う喉首を締め上げることができるかを
 いかにしてユァリゼンの暴虐を戒めることができるのかを

 ぼくは既に見ていた、
 天安門が血に染まり、ホメイニーが死んだとき
 空をうねり翔る翼有蛇神の麗しい姿を
 ぼくはそのとき知っていた、
 やがて壁は崩れ、母は死ぬだろうとということを
 蛇はとても美しかった
 ぼくたちから離れた翼がそのとき飛び立っていったのだ
 ぼくはとても悲しかった
 インディオは略奪されるともしらず
 冷酷な征服者を白い救い主と見誤って歓待するだろうということを
 ケツァルコアトルは警告するためにその優美な姿を現したのだ
 
 ゲルマンの心は死んだ
 そして聖なるゲルマンの心を持つ伯爵もまた
 出張中の日本で死んだ
 二千年の時を生きていたその人もまた
 タイクンが崩れようとするとき、
 かれが持ち込んだフランスの書物は
 目に見えない炎で焼かれて灰になる
 それを読んだ若者の心もまた

 ブランショの言葉を思い出してくれ 日本の友よ
 災厄はそっくりそのままに荒廃させると彼は言った
 ノストラダムスを思い出してくれ
 滅びとは何でもないものが降ることだが
 そのために何もかもが変わってしまうのだと彼は言った

 災厄とは誰のことか、アンゴルモアの大王ではない
 核ミサイルでもなければ アンチクリストでもない

 災厄とはアメリカニズム アメリカの友人たち
 災厄とは最後の人間、または最後から二番目の人間
 いずれにせよ、最後の人間とは必ず最低の奴と相場は決まっている

 だがニーチェをも思い出してくれ
 誰が神を殺したのかと彼は狂人に成り済まして問う
 そして自ら答えた、われわれが神を殺したのだと

 われわれは皆最後の人間、
 われわれは皆アメリカ人なのだ
 新しい時代の大陸にたどり着き、
 世界はアメリカのものとなる

 アメリカが世界を一つにしたのは、
 われわれが皆アメリカ人になってしまったためだ

 だが忘れるな、神は死んだ、外部が死に、砂漠が死んで、
 すべてがリゾート地になったとき、メシア・エマニュエルが殺される
 《他者》が殺されようとしている

 だが思い出してくれ
 《他者》――別の者が出さえすれば滅びはないと
 ノストラダムスは約束した筈
 この言葉をかみ締めてくれ

 きみは、年号が変わり、
 王がいかさまのセレモニーで甦ろうとするとき
 万人を平社員と成金に振り分けようとする
 欺瞞の平和の陰謀の進行するとき
 きっと感じた筈 
 目に見えない天使の手がきみの口を塞ぐように
 言葉が他者にもう話せなくなりつつあるのを

 ごらん、何げないきみの言葉が変質した空気に触れると
 意図しなかった刃の尾鰭がまるで氷柱や霜のように凝結し
 思わぬ方向にずれていって人体を傷つけ出す

 弟たちはきみに脅える、
 大人たちは白い目できみを見る
 弱い者と強い者の視線に挟まれ、
 きみは刃で一杯にされたきみの言葉を
 上着の内側にしまいこんで我と我が身を傷つけるだろう

 さらに自由にものを考えることさえできなくするような塞がりを
 やがてきみは肩に背中に重苦しい痼のように背負うだろう
 きみはもう路上で歌えない、また踊れないようになるだろう

 恐ろしく鈍く重い無反応な顔・顔・顔が
 きみの作り出す見知らぬ者の空間を
 無言の、金と冷笑とを裏で凄ませた
 憎悪の圧力でねじ曲げ始めている

 きみは感じたと思う
 何かがとても間違っていることを
 裏切りが始まっていることを
 他者が殺されつつあるということを

 口に出す言葉ばかりか、
 頭を通ろうとする言葉にでさえ消費税と監視がつけられ
 イリヤの透明な魔物が空中に薄気味悪く広がり
 偽の顔が蔓延しはじめたことを

 いま、解体しようとした者が解体され
 脱構築が脱構築されようとしていると
 薄気味悪くきみは思わなかったか
 あるいは外へ逃走しようとしたきみ
 そこに安手の菓子袋から取り出したような子供の玩具めいた
 エイリアンのイマージュが機雷のようにばらまかれ
 その愚劣さにノイローゼにならなかったか
 または円盤に乗ったアメリカの誘拐魔が現れ
 遠出したきみを自己開発セミナーなる
 新手の収容所に連れ去ろうとはしなかったか

 知りたまえ、もう恐怖の大王は降りたのだ
 その神の名前はチェシャ猫
 顔を消し、薄笑いして空気に広がる
 それは人々の顔に張り付く
 優しさを装う仮面の冷笑
 そうやって最後の人間、剥製の人が生まれてくるのを
 もしきみがアリスの心を失っていないなら
 肌身に寒々と感じた筈