Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 3-1 虚妄の音楽

 キュメの巫女〔シビュルラ〕は共和制にあるローマを保護し、時宜にかなった警告をあたえた。キリスト紀元一世紀にケネディ家のふたりの兄弟、キング牧師、パイク主教の暗殺を予見した。暗殺された四人におけるふたつの公分母を理解した。第一に彼らは共和制の自由を守る立場にいた。第二に各自が敬虔な指導者だった。このために彼らは暗殺されたのである。共和制はふたたび専制君主のもとに帝国となった。〈帝国〉は終滅することがない。
 (フィリップ・K・ディック『ヴァリス』大瀧啓裕訳)


 読者は、残念ながらぼくの散文を気に入っていただけないとしても、ぼくに腹を立てることのないように。何といってもぼくの想念は奇矯だとあなたは言い張る。あなたがそう言うのは正しい、立派なお方よ。ただし偏った正しさなのだ。ところで、あらゆる偏った正しさというものは、誤りと混同を生む何と豊かな源ではないだろうか!
 (ロートレアモン『マルドロールの歌』藤井寛訳)


私たちは5つのことを言いたい。
 音楽産業は、その犠牲としての現実の才能を開発すること以外には何も作り出すことはできない。
 音楽産業は、可能な限りでの最低レベルにおける多数の要求を保持したがる。なぜなら誠実なミュージシャンが抑制することが困難であることを、再生することは、決まり文句のように簡単だとされるからである。
 音楽産業は、利益、名声……の基盤としてのあらゆる決定を下す。それらは、金の音を聞くだけの聴覚と、殺害者の血をくみ上げるだけの感情である。
 カフカは、真実とは何か……のみ書いた。パラノイアとは、単なる資本主義における人間の価値の認識である。〈問題はそれを変革することである!〉
 革命がセカンドステップだとすると、独立とは、当然ながら、確固たるファーストステップである。
  (ヘンリー・カウ「反対派ロック宣言」『フールズメイト79年1月号』)

 つまり音楽とは人為的なものでありかつ同時に自然なものだ。人為的なものが自然と係わりを持たぬならば、癌を生じさせてしまう。そして時が経つごとに人間を殺してゆく。今日のほとんどの音楽は、ポップもロックも戦争を起こさせるようなものだ。あまりに多量化している。あまりに沢山あるから誰もそのまま耳を傾けようとしない。僕はドイツの状況について話してるんだけどね。静かにしていなければならない状況を人々は不愉快に感じてる。それで人々は麻薬で感覚を麻痺させられたかのように音楽を聴く。そうやって音楽を駄目にしてしまう。そして駄目になった音楽は人間を駄目にする。この状況から抜け出さなくては。
 (ホルガー・チューカイ(元CAN) 一九八二年来日 インタヴュアー明石政紀 『フールズメイト82年9月号』掲載)


 当時はまだ、世界中のレコード会社の殆どを買収し、殆ど改竄同然の不快きわまりない商業主義的アレンジでもって、ミュージシャンの思想表現の自由を事実上抑圧していたとして悪名の高い日本資本と、馬鹿者の都ハリウッドと俗物の殿堂ブロードウェイで取れた、低能向けのけばけばしく大味で実にひどい代物を電波メディアを使って世界中の人々に押し付け、そのマスプロ戦略の行き過ぎで、教養ある人々から既に国際的な顰蹙の的になりつつあったアメリカ合衆国興業界が共に健在で、音楽文化、とりわけロックミュージックの暗黒時代だったといわれている。

 ロックといえば、ビートルズに毛の生えた程度の退屈で青臭い流行歌の類いだというひどい偏見が世界中に蔓延していた。
 さもなければ、音楽性もへったくれもないパンクスの薄汚い乱痴気騒ぎか、頭の足りない連中が見栄を張って踊り狂うディスコミュージックか、不良を気取った永久反抗期の連中が妙ななりをして殆ど意味のない疑似黒魔術的な歌詞を金切声でわめきたてるヘヴィメタルとかいう代物である。

 ロックのイメージは極めて悪く、貧しく、音楽というよりも公害、それも騒音公害というだけではなく、もっと精神衛生に悪い情報公害という誹謗を受けても仕方のない状況だった。実際、とても長い間、碌な曲が作られてこなかったのである。

 当時、ある日米合弁の世界的なレコード会社の重役が、著作権に関する国際的な経済人の会合の席上で、こともあろうに《大衆音楽というのは、第一義的に、音楽産業の利益のためにこそ存在する。供給者はわれわれ企業であり、われわれの利益に反する音楽の作成や流通、つまり反体制的な音楽、売れない音楽、海賊盤の作成は、公序良俗に反するものとして断固取り締まるべきである》などという歴史的暴言を吐いた。ここで《大衆音楽》というのは、ジャズでもフュージョンでもなく、ロックのことを意味していた。

 この発言に最も猛烈に反発したのは、テルアビブとベルリンの大学生たちだった。
 イスラエルとドイツには20世紀以来、延々と続いたインディーズ・ロックの文化が生き残っており、大量のヨーロッパ前衛ロックの遺産を専門の図書館に貯蔵していたのである。

 大戦後、火星の都クリュセポリスを中心に巻き起こったロック・ルネサンスの最初の聖火は、今日伝説ともなった、大戦前夜に咲いた不可思議な幻の妖しい花、断固として英語で歌わなかった三つの偉大なバンドによって灯された。《アンチビートルズ》、《ノイ=カン》、そして、最も過激な歌詞と最も高度で崇高な演奏力をもって、ロックの汚名をそそぎ、ベルリン交響楽団との歴史的セッションによって世界中の音楽評論家を味方につけ、問題発言をした企業ばかりか数多くのメジャーレーベルを倒産に追い込み、最後にはハリウッドを廃墟に変えてしまった《ラビ・ニーチェ》である。

 やがて大戦勃発とともに、商業主義に変わって軍国主義による言論統制が敷かれたとき、最も果断に反戦運動を繰り広げたこの三つのバンドのメンバーは全員、勃興してきたネオ=ナチに虐殺されたり、やむを得ず亡命潜伏中のアメリカで、彼らを恨んだ連中の差し金か、KKKや、ひどい場合には恐らくCIAの手にかかって暗殺されてしまうことになる。哀れな話だが、それ程恨みを買っても当然なところもなくはなかった。というのは、彼らは反コマーシャリズムばかりではなく、露骨に反アングロ・サクソン、反英語を、更に明白な反米思想をさえ宣伝し、また扇動しさえしていたのだから。

 《ラビ・ニーチェ》の有名な曲の一つには、マザーグースをもじった《誰が和尚ラジニーシを殺したか》というのがある。

 この曲の表題は、インドのプーナで20世紀末に息を引き取ったサニヤシンの教祖バグワン・シュリ・ラジニーシの死に纏わる伝説に想を取っている。ラジニーシはアメリカ滞在中に当局によって逮捕されたが、そのとき検出の難しい毒物を盛られたのだという教団側の主張をわざわざ掘り起こしてきているのだ。

 《ラビ・ニーチェ》は、この奇怪な伝説に更にクレイジーな逸話を付け加えている。

 演奏時間約四五分というこの長大な曲は、ベルリンの壁を発端に東欧及びソヴィエト連邦にまで波及した共産圏の大崩壊と東西冷戦構造の消滅の前後、アメリカが世界に覇を唱えた20世紀末の混乱期を題材にしている。歌はまず、ベルリンの壁崩壊を象徴的に予告し、また東西ドイツ統一の悲願が満ち溢れた壁崩壊前夜の重苦しい危機感と祈りにも似た感動的な希望の曙光を描いた記念碑的な作品として名高い、ヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン天使の詩』に抗議するようにして始まる。