《私は存在する。しかし、そんなことは有り得ない。それ故に、奇蹟は起こる。》

 自分の存在の自明視が崩れ去るとき、形而上学の驚異の閃光がほとばしる。
 私がありえないということは、私がいないということではない。

 存在の不可能性の様相は、私の存在を無化も破壊もしない。
 単にその自明性を破壊するにすぎない。
 しかし、それは自明性を不明性に転ずるものではない。

 現実性がおぼろげな非現実性へと衰退するのではない。
 逆に黙示録的な超現実性へと質的発展をとげるのであって、
 天地創造の奇蹟のきらめきが
 きらきらとそのおもてを流れてゆくのをみることができる。

 不可能性からの私の存在の奇蹟の生還は、
 私の存在にも現実にも微傷ひとつ負わせるものではない。