一六六六年、黙示録の獣の数字が揃った年、
 ユダヤとロシアの民衆のそれぞれに或る決定的な〈背教的〉事件が起こった。
 背教のメシア、サバタイ・ツヴィの事件。
 そしてロシアにおける分離派の発生である。

 分離派はやがて周知のようにドストエフスキーの『罪と罰』の主人公、
 やはり獣の数字の暗号をそのイニシャルРРРに隠した
 ラスコーリニコフの名の由来となった。

 ラスコーリニコフはドストエフスキーの創造した
 偉大なる異端のメシアの第一号である。
 このアンチクリストの恋人はソーニャ、神聖な娼婦であるが、
 彼女は明らかに古いグノーシス主義の異端思想に現れる
 アニマ・ムンディ、ハギア・ソフィアを意味する人物に他ならない。

 『罪と罰』は全く正統的なキリスト教に忠実な書物であるとはいえない。
 寧ろローマカトリックに対してもギリシャ=ロシア正教に対しても
 かなり辛辣で大胆な批判を秘めた書物なのである。

 ドストエフスキーのキリスト教は
 実はかなり過激なアンチクリスト教であるとみるべきであって、
 それは最晩年の『カラマーゾフ兄弟』にまで貫徹されている。

 書かれざる『カラマーゾフ兄弟』の続編で
 革命的秘密結社の首領となって皇帝暗殺を企てる
 反権力者アリョーシャ・カラマーゾフと
 兄イワンの母の名がさりげなく
 ソフィアであると記されていることは
 この二人が実はラスコーリニコフとソーニャの間に生まれ
 その魂を引き継ぐアンチクリストの子供達であることを匂わせている。

 他方、双子のような作品『白痴』と『悪霊』の中心人物
 ムイシュキンとスタヴローギンは
 実は表裏一体の同一人物
 (創作ノートをみると両者は共通して〈公爵〉と書かれている)
 であって、共に無能なまま破滅するが、
 これはドストエフスキーのキリスト批判であり罵倒である
 と読んだ方がよい(無論正統的なキリスト教のキリストを揶揄しているのである)。

 つまり古臭い神である所謂キリスト教のキリストなど
 骨抜きになったお目出度い無能のうすのろで、
 役立たずの下らない汚らわしい木偶坊だとやっつけているのだ。
 そんな神は白痴であり悪霊でしかないのである。

 ドストエフスキーはそのような所謂〈真のキリスト〉こそ
 人民を誑かす抽象的な〈偽キリスト〉だと看做し、
 くたばりやがれと徹底的にやっつけているのである。

 逆に『白痴』と『悪霊』の真のヒーローとして描かれているのは
 肺病病みのイッポリトと自殺狂のキリーロフなのである。
 二人は合体して『カラマーゾフ兄弟』のなかに
 ミーチャの嫌疑を晴らそうとする弁護士(救世主)
 イッポリト=キリーロヴィッチとして復活する。

 つまり彼らは死ななかったのである。