行為者と主体の概念、行為者性と主体性の概念は出来事に関して同じものではない。
 しかし、行為者性の問題提起は、余りにも安易に「成仏」させられてしまった主体性及び実体性の概念の不死鳥の如き復活と二十一世紀の始まりにふさわしい思想の天変地異的大革命と現実的な次元における存在の黙示録的大革命、すなわち文字通りの意味で「形而上学のハルマゲドン」の火薬庫に火を点じる起爆剤になりうるものである。
 行為者性(agency)という問題提起的な概念は、アメリカの代表的な分析哲学者の重鎮ドナルド・デイヴィドソンの発案によるものである。彼の示唆に富む所論についての考察は機会があれば別途行いたいが、ここでは、わたしはデイヴィドソンとは少しばかり違った風に行為者性の概念を画定したいと思っているので、わたしの行為者性の概念とデイヴィドソンのそれとは交差するところはあっても大いに似て非なるものであることだけは予め断っておきたい。
 つまり問題設定が違うのである。そこでデイヴィドソンの行為者性についての提起を含む出来事・行為論へと交錯してゆくのに先立って、わたしはまず己れの出来事・行為論から行為者性の問題にアプローチしてゆきたい。

1.属性と偶有性

 出来事(event)が人に帰属し、それがその人の事柄と看做されるのには、行為以外にも様々な様式がある。人は主体として自己同一的な実体として措定されている。実体に一般的に帰属するものは属性(attribute)といわれている。属性も或る意味では実体=主体の身に起こる出来事であると考えることができる。

 古典的な形式論理学の語法でいえば、属性は実体=主体に関して言われる性質的な意味での可述語である。そこでこの属性概念について、哲学の教科書的な意味においての確認作業を更に進めたい。

 属性(性質)は、更にそれの帰属先の実体の自己同一性ないし本質規定への関与の度合い(あるいはその影響の深度)に応じて次の二つ(又は三つ)に下位区分される。

 [1]属性(狭義)ないし特質 ……実体の恒常的・本質的規定。([羅]proprium)
   実体がそれなしにはありえない=考えられない(思考不可能であるが故に存在不可能である、つまり非在になってしまう)ような仕方で実体に帰属する、つまり、実体の自己同一的存続にとって必然的な様相の属性が、狭義の属性である。様相論理的な概念でいうと、必然性-不可能性の軸が、その実体の存在-無あるいは生死の分かれ目にそのまま厳しく致命的に交差してしまっている。

 [2a]偶有性ないし付帯性……実体の可変的・非本質的規定。([羅]accidentia)
   実体がそれなしでもありうる=考えられうる(思考可能であるが故に存在可能である、逆に無くとも構わない)ような仕方で実体に帰属する、つまり、実体の自己同一的存続にとって偶然的な様相の属性が、偶有性である。これも様相論理的な概念でいうと、偶然性-可能性の軸が、その実体の存在-無あるいは生死の分かれ目にはやや的を外し寛大に擦違うかたちで過越していっている。

 [2b]様態ないし状態……実体の変化する形態としての偶有性([羅]modus,affectio)
   様態は偶有性を別の面から捉えたもので、当然、実体については可変的・非本質的規定に留まる。或る仕方、或る状態においてたまたま偶然それがとっている徴表を言っているものである。様相論理的な概念でいうと端的に偶然性に該当している。可能性の様相とはむしろ切り離されている。それは寧ろ可能的であるというよりは現実的である。

 しかし、それより興味深いのは、概念内容的には端的に偶然的=偶有的であるに過ぎないこの様態という語が、言葉の上では必然・可能・不可能をも含む様相という語と殆ど区別のつかない類義語だということである。これは日本語においてそうなのだというより、様相を意味する〈modality〉という語が元来〈modus〉の派生語であること、そして古い哲学用語においては、今日〈modality〉の語が含意している概念を〈modus〉やそれから直接翻訳された語である〈mode〉において表記していたという歴史的経緯からみてそうなのだ。

 必然・偶然・可能・不可能の四相に論理的にモード的に分節されている様相の概念それ自体の根底になおそれには還元不可能な偶有性として様態の概念が沈んでいることは無気味である。

 それは或る意味においては、例えば九鬼周造が『偶然性の問題』で実際に試みているように、偶然性(contingentia)を根本的な基本様相とし、それに基づいて他の様相性を規定してゆく一見奇抜な偶然主義的な様相論理の捉え方(必然性=有ることの偶然でないこと、可能性=無いことの偶然であること、不可能性=無いことの偶然でないこと、という風に九鬼は規定を試みている)にそれなりの根拠と正当性を与えているといえなくはない。