可能性は、第二には不可能性の不可能性といえる。
これは必然性の不可能性と必ず(必然的に)同時に生起する。

すなわち
〈そのようなことはありえない〉ということは
「ない」(これは単なる否定である)というより、
〈そのようなことはありえない〉ということは
ありえない(不可能である)として
可能性はありえるものたらしめられると言いたいのである。

この両者は同じようで違う。
単なる否定の場合、
そのないことを示すには実在的事態をもって反証することによって、
つまり例をあげることによって、
〈そのようなことはありえない〉ということは打ち破られる。
つまり〈そのようなことはある〉のである。
しかしそれはまず実在性が立証されるが故にである。

或る種の実在的事態(例えば「人が座っている」)は
その逆(「人が座らない」)も可能である。
このような実在的事態は
それと同時にその逆(否定)の可能的事態をも
可能性として潜在させている。
すなわち実在的事態はこのような場合、
その他の多くの可能的事態
(「人が眠っている」「人が立っている」等)と共に示されている。

言い換えれば、
複数の可能的要素(possibilities)をポテンシャルとしてもつ
デュナミスの海(集合)に含まれる一要素が
特に実現しているものとして
指示(指名または選出)されているのに過ぎないのである。

実は一個の実現している実在的事態は
それが必然的でも不可能的でもないときには、
それ以外もありえる(可能である)ものとして
それ以外の可能的事態と一緒に繋がれて、
可能性の中の一つとしてあるのに過ぎない。
それは可能性の集合の輪から一歩も出てはいない。

このことの帰結を、後に
一個の驚くべき小石の例によってわたしたちは詳しく検討するだろう。