絶望的な人間は思想家ではない。
それは端的に無意味で犬儒的で無価値な人間である。

絶望的で悲観主義的な人間は、
希望が認められる場処でもそれを憎み潰そうとするものである。

彼らは希望をこそ恐怖している。
その自己欺瞞が希望の純粋な光の前に許されないからである。

そして悲観的な人間は決して真の意味で苦悩しもしないものである。
却って苦悩する人を冷笑し役にも立たない慰めを言う、
否、諦念し降伏することを勧告するのみである。

彼らはそれを悟りと称するが、
それは単なる卑劣な敗北至上主義的怠惰性以外の何者でもない。

またそれに現実的根拠は極めて薄弱にしかない。
彼らは不徹底な懐疑論者で不徹底な経験論者であるに相場が決まっているが、
それ故におのれがそれしかなしえぬ帰納的推理の結論が
単に蓋然的でしかありえないということを認識していないのである。

蓋然的でしかありえない己れの見通しの暗さをそのまま絶対視するとき、
この懐疑論者は忽ち最悪の独断論者に変貌している。

このような人間は暗愚であり有害な人間である。
思想家のみならず生活人としても
このような悲観主義者に対しては
信用にも友愛にも値しない人間として冷徹に対処しなければならない。

何故なら彼らは他者の苦悩や困難を解決する能力がないばかりか
それを歓迎しさえしており、更にその解決を妨害して
ますます苦悩や困難を
その自己欺瞞的善意や偽善的良心や
犬儒的道徳によって重くするだけだからである。

悲観主義者には真の同情心もなく苦悩する能力もない。
苦悩する能力は思考の現実態からしか到来しない。

すなわち苦悩する人は希望のゆえに苦悩するのである。