Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]

第二章 神聖秘名 2-8 異教の怨詛

 「三位一体論の確立者アウグスティヌスは、
 ローマ市民を瞞着するために『神の国』を著したが、
 三位一体論自体もまたキリスト教の野蛮な体質を包み隠すための欺瞞の産物だ。
 インテリ坊主どもの内ゲバが
 三位一体論を捏造する最大の原動力であったのは確かだ。
 特に忌々しいアレイオス派を黙らせることが
 このドグマ確立の最大の動機ではあった。

 だが、見方を変えるなら、アレイオスにせよ正統派の糞坊主どもにせよ、
 流血騒ぎまで起こしながら
 血道を上げて戯けた論争に精を出さねばならないだけの
 もっと深刻な動機があったのだ。

 両陣営ともに暗黙の前提が共有されていた。
 つまり、ローマ帝国に受け入れられるためには、
 野蛮な原始キリスト教を
 何としてもギリシア化しなければならないという前提をな。
 プラトン以来の美しい哲学の精神と
 それが育んだ理性的な文明の感性に合わないものを
 ローマ人が受け入れるわけがないのだ。

 だからクリスチャンどもはまず、キリスト教の野蛮な神を
 何としてもプラトニズムの説く《善》の神であるかのように
 見せかける必要があったのだ。

 パウロ以来、延々とつづいた教義論争の歴史は、
 イエスの説いた無茶苦茶な説法を
 何とかしてプラトン哲学の枠内に丸く収めようとする
 涙ぐましくもみにくい努力の歴史に他ならなかった。

 このためにこそ教父哲学者どもは散々苦労を重ねて、
 ユダヤ起源の血生臭い神の素顔を、
 《三位一体》の知的で洗練された
 ギリシア的《善》の仮面〔ペルソナ〕で隠し、
 誰でも安心して信じられるようにしたのだ。

 無論、この仮面はその後も結局多くの血を吸うことになるのだがな。
 ふん、こうして人民は欺かれたのだ。

 教父どもはこの三位一体の仮面の確立のために
 大いにプロティノスに代表される、
 所謂「新プラトン主義」の神学を換骨奪胎した。

 三位一体論の元型は、もともとキリスト教などと縁もゆかりも無い
 このプロティノスの神学にあり、
 また、物質的な汚辱にまみれた世界をも
 無から神が創造しただのという教説の元型の方は、
 プロティノスの弟子のポルフィリオスが主張したものだった。

 クリスチャンどもは、プロティノス、ポルフィリオス、
 それにプロクロスの新プラトン主義の教説をまさにごっそり盗んだのだ。
 それは、それ程にまで彼らの理論が強力だったからなのさ!
 だが、彼らはいずれもキリスト教など認めていなかったのだ。

 特にポルフィリオスは、
 アリストテレスのカテゴリー論の解説者として知られ、
 中世のスコラ哲学者どもは彼の書いたカテゴリー論入門書を
 自分たちの教科書としてそれはそれは有り難がって読んだものだが、
 一方で、彼の『キリスト教徒駁論〔カタ・クリスティアーノン〕』は
 447年に焚書にされた。

 ポルフィリオスは、アスクレピオス神の信者で菜食主義者、
 従って非常に「血の犠牲」などという汚らわしい思想を嫌っていた。
 
 弟子に宛てた手紙の中で、
 血の犠牲は悪霊に気に入るだけのもので、
 この悪霊は崇拝されたがり、
 神々に関する哲学者のまともな見解を台無しにするだけだと語っている。

 彼は晩年になって七人の子供を抱えた未亡人と結婚した。
 その婚礼の直前、彼がこの女性に書き送った手紙が残っている。

 それは『マルケラへの手紙』として知られるもので、
 この女性を慰め励ます目的で書かれたその文章は
 敬神の念に満ち溢れた実に見事なものだ。

 さて、そのなかでポルフィリオスは、
 神を人間の全ての行動と全ての言葉の証人にして監視者であると語っているが、
 もちろんキリスト教の神のことをそう呼んでいるのではない。
 たんにエピクテトスの思想を引き継いだものに過ぎない。

 それどころか、彼にとってキリスト教の神こそは
 まさしく〈悪霊〉だったのさ!
 彼はまさにこの手紙の中で、
 婚礼を前に控えた大切な人に
 《ギリシア人の利益》のために
 どうしても旅行に出なければならない旨を断っている。

 いいかね、この《ギリシア人の利益》というのが、
 実はキリスト教徒大迫害のために
 303年にかのディオクレティアヌス大帝が招集した
 顧問会議に出席することだったといわれているのだ!」