メルカバー神秘主義におけるエノクの思想はユダヤ教内部では、レヴィナスが好んで依拠するようなラビ的タルムード的正統主義によって鎮圧され、所謂神秘思想の系統においてもセフィロトの瞑想を重視する新派のカバラによって取って代わられて抑圧されてしまう。

 ところがこれが何故かあのノストラダムスがかの有名な予言書を出版した一五五五年に忽然と復活するのである。

 私は一五五五年を重視し、これをノストラダムスに因んで《恐怖の大王のクーデタ》の年と名付ける。
 この黙示録的な年は非常に異常であり、調べれば調べるほど不思議な符合に満ちあふれている点において、一六六六年と比肩している。

 一五五五年の不思議には私以前にH・P・ラヴクラフトが、一六六六年の不思議には同じようにドストエフスキーがどうやら気づいていた節がある。
 レヴィナスは更にこの両方の年の不思議を嗅ぎ付けていたに違いないと私は考えている。
 しかしその全てを彼は見切っていない。

 特に一五五五年に投獄されていたジョン・ディーとその年に生まれたエドワード・ケリーによって後にエノキアン魔術の名で知られるようになるメルカバー神秘主義のエノク的宇宙観が再興されているという事実に気づいていたのはラヴクラフトであってレヴィナスではない。

 ラヴクラフトは彼の想像した架空の書物『ネクロノミコン』をギリシア語から英語に翻訳したという伝説を、シェイクスピアの『テンペスト』の主人公プロスペローのモデルであったこのエリザベス朝最大の魔術師ジョン・ディーに着せているが、その問題の書物『ネクロノミコン』の表題のギリシア語ゲマトリア数値が五五五になっているのである。

 そして、この『ネクロノミコン』の中心思想には『ゾハール』のカバラに対する痛烈なメルカバー神秘主義の立場から見られた批判が込められている。
 そこには水の深淵に死の眠りを眠らされた海坊主のクトゥルフCthulhuという明白にシュメールの水神エアや『リグ・ヴェーダ』に触れられているアスラ神ヴァルナをモデルにしたと思しき邪神が登場する。

 エアに対応する惑星は現代でいうなら海王星(ネプチューン)が相応しいだろう。
 そして生命の木のセフィロトに当てていくなら海王星は第一のセフィラ(セフィロトの単数形)であるケテル(王冠)に対応する。

 ところが、この眠れる海王星の邪神は水の深淵の底に沈んでいるとされている。
 これは生命の木の図表でいうならちょうど上位セフィロトと下位セフィロトを隔てる深淵(Abyss)の位置にいるということになる。

 カバラではその位置に確かに邪悪な半セフィラ・ダアス(知識)というものを置いているが、このダアスという言葉をギリシア語訳するならグノーシスがそれにあたる。

 このセフィラ・グノーシスは第十一番目のセフィラといわれているが、位置的には第一のセフィラ・ケテルの真下に置かれている。
 そこで至高の王冠の場処にいるべき海王星の夢見る魔神エア=クトゥルフは何故かそこから転がり落ちて『イザヤ書』の明けの明星の記述にあるような「穴のいや下」ならぬ水の深淵の底に封印されてしまっているのである。

 クトゥルフの名は明らかに Kether,Who?(ケテル・フー)と響くのを意図して作られている。つまり「ケテルにいる奴は誰だ?」という天空の王座(メルカバー)の空位を暗示する台詞である。
 ケテルにはそのいるべき主がいないとラヴクラフトは言っているのである。

 カバラではケテルに対応する大天使をメタトロンとしている。そのメタトロンは人間がそれにならない限りはいる訳がない。ところがメルカバー神秘主義が見失われてしまっている以上はメタトロンの成り手がいるわけがない。

 ラヴクラフトはそれを痛烈に皮肉っているのである。