Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]

第二章 神聖秘名 2-7 異端の弁証

 「原始キリスト教が一体どんな宗教だったのかは謎に包まれている。
 ずっと後代になって作られた福音書や神学がそれに大層お上品な覆いをかけてしまった。
 その覆いの衣はギリシア哲学の影響下にあるインテリどもが縫ったのさ。

 古代ユダヤ教が実際には一神教どころか多くの神々を神殿に祀り、
 かなり野蛮な秘儀を行う猥雑なものだったらしいことは、
 ソロモンの例を引くまでも無い。

 今日見るような一神教神学の礎を築いたのは、
 アレクサンドリアのフィロンというインテリで、
 プラトン哲学の圧倒的影響下にあった男だ。

 唯一神よって宇宙が無から創造されたなどという高度に抽象的な発想は
 元々ユダヤ民族には存在しなかった。
 キリスト教の三位一体論も同じだ。
 それはギリシア哲学かぶれのインテリどもの議論の産物であって、
 無学無教養な大工の息子風情の頭が考え付くような代物ではない。

 パレスティナの片田舎の野蛮にして素朴な奴らが考えつくものは、
 もっと熱狂的で血生臭い別の何事かであったのに相違ないのだ。
 それはおそらくぞっとさせるような酸鼻な光景で、
 洗練されたギリシア人の眉を顰めさせるものだったのだろう。

 だからこそ、初期キリスト教はあれほど激しく弾圧を受けたのだ。
 ローマ皇帝に対する不敬だけが理由ではない。
 それはきっと今日でいう悪魔崇拝とさして変わらない
 クレイジーかつ危険な代物で、
 もっと現実的に目に余る犯罪まがいのものだったからなのだ
 と考えるべきだろう。

 なにも弾圧を行ったのは、
 暴君ネロだの暗君カリギュラだの
 狂王ヘリオガバルスだのといった
 莫迦で野蛮な連中だけではないのだからな。

 五賢帝の一人に数えられる
 マルクス=アウレリアヌスもまたキリスト教を弾圧した。
 彼は元々ストア派の哲学者で、教養深く、上品で知的、
 更には慈愛にも富んだ名君だった。
 そんな彼ですらキリスト教を許せなかったのは何故であるのかを
 よく考えてみることだ。
 もしキリスト教が本当にご立派な教えであったのなら、
 すでにこのマルクス=アウレリアヌスの代に
 国教化されていなければおかしいではないか。

 また、ずっと後代のディオクレティアヌス大帝も
 キリスト教の大弾圧を行ったので
 やたら専制君主だったと歴史家どもに悪く言われているが、
 実際には帝位にも権力にも執着の無い男で、
 引退後は畑仕事に没頭して慎ましく暮らした。

 他方、キリスト教を初めて国教化したコンスタンティヌス帝は、
 このディオクレティアヌスとはむしろ対照的に
 鼻持ちならぬ姑息で陰険な男で、権力欲の権化だった。

 背教者ユリアヌス皇帝は、このコンスタンティヌスの甥に当たるが、
 古典文学とギリシア哲学の高い教育を受け、
 伯父などよりもずっと立派な人格の持ち主だったことが知られている。
 このユリアヌスの目にもキリスト教は野蛮と映った。
 だから彼はミトラス教の復興を図り、クリスチャンを迫害したのだが、
 それはまともな神経の持ち主だったからそうしたのさ。

 ハッハ、全くあの繊細なつもりで実は野蛮な精神の持ち主だった
 病人パスカルの戯言は実に至言だ! 
 《アブラハム、イサク、ヤコブの神、哲学者および識者の神に非ず。》
 全くその通り! 

 アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてイエスの野蛮な神が
 どうして理性ある善良な哲学者や良識ある識者の神などであるものか!

 哲学者の神はヤハウェなどではない、《善のイデア》だ。
 それはプラトン以来九百年間アカデメイアで
 脈々と語り継がれてきた真善美そのものだったのさ! 

 そんな素晴らしい神を知っている
 美しく正義感に満ちた理性的精神の持ち主が、
 どうして横暴なキリスト教の神などを許しておけるものか。

 いいかね、迫害こそが正義であったのだ。これが真相だ。
 迫害者は血に飢えた殺人鬼などではなく、
 実は全くキリスト教徒どもこそがそうだったのだ。
 奴らこそが悪の神ヤハウェを信じる破壊的なテロリストだったのだ。

 理性を侮蔑した《不合理ゆえに我信ず》などという
 愚劣な格言を残したテルトゥリアヌスは、
 プラトンをあらゆる異端と異教の父として憎悪していた。
 そして全くこのテルトゥリアヌスの怨念の言葉通りの咎を着せられて、
 アカデメイアは五二九年に東ローマ皇帝ユスティニアヌスによって
 その命脈を絶たれてしまう。

 そして中世の暗黒時代が始まった。
 十字軍を見ろ、異端審問官を見ろ、魔女狩りを見るがいいのだ。
 キリスト教がどれほど血に飢えた残酷な宗教であるか、
 その本質はどんなに証拠物件を湮滅しても
 消すことが出来ぬほどに大きな赤い汚点を歴史書の上に染み付けている。

 パスカルはこの事実を見て恥じるべきだ。まあ、もっとも、或いはパスカルは、
 実は通常解釈されるのと全く逆の感慨を込めて、
 例の《アブラハム、イサク、ヤコブの神、哲学者および識者の神に非ず。》
 という言葉を服の裏地にこっそりと縫いつけたのではないかな。
 そうであればこそ繊細の精神の哲学者パスカルの名に恥じぬ行為だろう。
 つまり、彼は隠れキリシタンならぬ隠れプラトニストだったというわけさ。

 おお、もしそうであったとすれば、
 それは《それでも地球は回る》といったガリレオの
 偉大な伝説的呟きにも比せられるべき言葉となったであろうに。
 
 実に、残念だ。

 もちろん、残念ながら、陰鬱にして不明瞭なパスカルは、
 そこで止めとけばよかったものを、
 そのあとくどくどとつまらぬ蒙昧な信仰の御託を
 書き並べてしまっているのさ。全く、唾棄するべき男だよ、パスカルは!

 おお全く、もっと徹底的に迫害され、マニ教のように、
 撲滅されてしまえばよかったのだ。キリスト教など! 

 このように呪われた宗教さえなければ、
 これほどに血まみれの歴史もまたなかったことだろうに。

 初期ローマ人は、キリスト教の元々の本質が
 あられもなく露呈していたその姿を見ていたのに違いない。
 そして、かつてテーバイを滅ぼした
 ディオニュソス=ザグレウスの宗教を思い出して、
 必ずや戦慄していたのに違いない。

 こんなものを放置しておけば、
 大帝国ローマもテーバイと同じ憂き目を見て
 破滅するに違いない、とな。
 そして、事実、西ローマ帝国が滅び去ったとき、
 ローマ市民はこぞってそれをキリスト教のせいにしたのだ。

 いいかね、これは事実に基づく判断だったのだ。
 何故ならローマを蹂躙して破滅せしめた蛮族どもは、
 異端のアレイオス派であったとはいえ、
 実に全くキリスト教徒の軍団であったのだからな!」