【1】〈不在〉は〈非在〉への指向性(directivity)である。つまりまさしくそこにアンテナを向け、〈非在〉を電波的に受信しているのだといえる。
 このアンテナ的指向性は、現象学的な意識の志向性(Intentionalität)とは異なり、これに先行するものである。
 志向性は〈何者かについての意識〉という意味で一定の対象に向けられているが、指向性にはそのような対象がどんな意味においても見出しえないからである。ノエシス-ノエマの相関関係として、〈不在〉を〈意識〉のように記述することはできない。
 〈不在〉の指向性はむしろ被爆的で放射能的である。放射能性=電波活動性(radio-activity)としかいいようのない何事かがここで起きているのである。
 電波はそこに沸き返る。しかし、発信源=局という中心はどこにも見出されない。

【2】不可能性は〈不在〉において放射能性となる。この放射能的にざわめき反響するものが〈影響〉である。
 〈影響〉の間接話法は放射能的であり、また、電波的である。それは電磁波的である。
 ここには原ポリフォニーというべきものがある。
 〈影響〉は、矛盾の還元の残余であるが、この残余は、ざわめき立つ宇宙的喧騒として沸騰するという特質をもつ。

【3】放射能的なものである〈影響〉は、無限化する谺=反響である。

【4】〈不在〉に〈影響〉は遍在し、〈空虚な充溢〉またはプレーローマと呼ぶべき、前=言語的な洪水を発生させる。
 それは或る意味では〈夢〉である。それは思考にとって悪夢であり、夢魔的なものである。
 この夢魔的なものである〈影響〉の放射能性に、おそらく〈渾沌(chaos)〉の観念は根付いている。

【5】〈影響〉の放射能性に満たされた〈不在〉の〈渾沌〉の空間は、根本的に多神教的である。
 しかし、それはまだデルフォイ的ではない。〈渾沌(chaos)〉の観念はあっても、〈深淵(abyss)〉の観念の発生はまだだからである。
 デルフォイ的なものとは、〈汝自身を知れ(グノーシ・ソートン)〉という銘文(エピグラム)の確立によって発生する。それは、この〈不在〉の〈影響〉のざわめきが鎮魂ないし封印されて、〈深淵〉に吸収されなければ不可能である。
 このざわめくものは前=神話である。
 〈渾沌〉が全面的に表面化しているこの平面空間には、その意味においては、〈神秘〉はまだ無い。