Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 2-6 冒涜の蛮声

 「ディオニュソスの宗教の偉大な預言者だったオルフェウスも
 トラキアの信女たちに引き裂かれて死んだ。
 何故なら、神を、救世主を、
 聖なる王を殺してその肉を喰い、その血を啜ることは、
 この熱狂的な興奮のなかで、神の永遠の生命に合一することだからだ!

 神の化身が再生するなら、その肉を喰ったものも、
 必ず復活することができると古代人は信じたのさ。
 この呪術的人肉嗜喰は最も重要で最も根源的な宗教儀礼だ。

 お嬢さんの言ったソーマにせよ、
 また別のインドの霊薬であったアムリタにせよ、
 後にローマに大きな影響を及ぼしたゾロアスター=ミトラ教のハオマにせよ、
 このディオニュソスの赤葡萄酒にせよ、
 元を質せば《人間の生血》のことだ。

 これらの聖なる液体は皆、興奮性の幻覚作用を持っていた。
 これは重要なことだよ。
 人間の血を啜るような興奮がどうしても必要だったのだから。

 皮肉にも《ソーマ》はギリシャ語では
 人間の肉体を意味する語だと知っているかね。
 これらはどれも《人間の生血》の代用物に過ぎないのだ。
 動物の犠牲が、人身御供の代用物だったようにな。

 だから、食人鬼〔オーグル〕や吸血鬼〔ヴァンパイア〕の伝説は、
 たんに下らぬ恐怖物語ではなく、深い真実を語っているのだ。

 そこには小賢しい誤魔化しのないストレートな真実が露呈されている。
 連中は馬鹿げたことをしているのでもなければ、
 罪深いことをしているのでもない。
 より敬虔で真摯な宗教的情熱をそこに感じなければならんのだよ。

 ふん、グノーシスの信仰告白をもじって言うなら、
 《殺すことはこれ喰うこと、即ち神を愛することなり》って訳だ!」

 黒人の台詞に、金髪の娘は眉を顰め、すっかり着替えの済んだ男の子をまるでその穢らわしい毒舌から庇うように抱きかかえる。男の子は派手な白虎の毛皮の柄のシャツにインドの小さな王子様のような可愛いターバンを巻いていた。
 女子供を怯えさせ、そのその加虐的〔サディスティック〕な快楽の甘美な汁に舌鼓を打つように、黒人は卑猥な嗤いに身を揺すった。 

 「ディオニュソスの野蛮な祭儀で用いられた赤葡萄酒は、
 そのままキリスト教の最も重要な秘儀である聖餐に取り入れられた。
 パンと葡萄酒がそれだ。

 パンつまり聖体の拝領というのは、キリストの肉体を喰うことを意味する。
 ふん、
 《Accipite,comedite :hoc est corpus meum.
   Bibite ex hoc omnes: hic est enim sanguis meus novi testamenti
  ――取りて食せよ、これ我が身体〔からだ〕なり。
  汝ら皆この酒盃より飲め、これわが契約の血なり》。

 キリストの血と肉を喰わして貰っているから、
 クリスチャンどもは死後復活することができると信じているのだ。
 聖餐とは口当たりよく毒気を抜かれ、
 ソフィスティケートされた人肉嗜喰に過ぎない。

 キリストが罪の贖いのため身代わりに死んだというのは
 宗教的真実を歪める美辞麗句に過ぎない。

 それは違う。
 その目的は罪だの贖いだの何だのというセンチメンタルなものではなく、
 露骨に血生臭い《永遠の生命》への貪婪な欲望にあったのだ! 

 キリストの死は信者どもの意志だ。
 イエスが神の子だと信じ、その復活を既に信じていたからこそ、
 彼を殺さなければならなかったのだ。

 イエスは殺され食われることに同意した。
 たとえ最後の晩餐がその死以前になされたからといっても、
 真実は変わらない。
 さもなければパンと葡萄酒の約束は宙に浮くことになるだろう。

 わたしの考えでは
 十二人の使徒のなかには一人も裏切者などいなかったのだ!
 全員が共犯者なのだよ。彼らは皆、キリストの死に同意したのだ。
 その証拠にイスカリオテのユダも聖体を喰っているのだからな。
 ユダも終わりの時に復活を許されているのだ。

 もともとセム系の宗教が頻繁に人身御供を行い、
 生贄にされた者の肉を喰う野蛮な風習をもつものだったことは知られている。
 原始ユダヤ教も例外ではない。

 アブラハムがイサクを神に捧げようとしたとき羊を身代わりにしただの、
 人間どもの罪を着せた贖罪の山羊をアザゼルという砂漠の魔神に捧げただのという
 話ばかりが吹聴されて、
 まるでいつも動物が代理として捧げられ、
 人身御供は実際には一度も行われなかったかのようにいわれているが、
 旧約聖書を読めば、実にしばしば人間が実際に全焼の生贄として
 野蛮な神に捧げられていたことが分かる。

 不運なエフタの娘もそうなった。
 この哀れな生娘は神殿で丸焼けのバーベキューにされ、
 その後どうなったと思うかね?

 古代ユダヤ教の祭式を定める『レヴィ記』によれば、
 ヤハウェは生贄の脂肪と燔祭の煙だけを食した。
 犠牲の肉は聖なるものとして
 祭官どもがこれを分けて喰わなければならないしきたりになっていたのだ。
 ハッハ、つまり奴らは彼女を喰っちまったに違いないのさ!」

 黒人は今度は娘へと白い歯並びをこぼしながらその威嚇的な薄ら笑いを振り向ける。
 だが、金髪の娘が不快の表情をあらわに示しながら憮然と口を閉ざして取り合わぬとみるや、くるりと背を向け、百目鬼たちから離れて、波の汀〔みぎわ〕へと近づいた。

 男はそこで立ち止まり、再びこちらへと向き直ると、やや声の調子を低くし、しかし低くから響きあがってくるような演説口調で話し始めた。
 顔付きは生真面目な学者のそれに変わり、まるで大勢の聴衆に向かって講義するかのように。皮肉な話の調子こそ変わりはしなかったが、声の奥底には断乎として譲らず、有無を言わさず、他を圧してつよく轟きわたろうとする雄渾な力がこもっていた。