ハイデガーには寧ろ見るべきところが多くある。
 それは彼のドゥンス・スコトゥスの受容の成果である。

 個別者をこそ第一実体(本来的な実体)と看做す
 ドゥンス・スコトゥスの個性化原理haecceitasの思考は
 ハイデガーの現存在の概念に継承されている。

 ドゥンス・スコトゥスはhaecceitasという原理を立てることによって、
 類的普遍性(一般性)に還元不可能な、
 つまり通性原理quidditasには還元不可能な
 個人の個人性を確立した思想家である。

 haecceitasの〈このこれ性〉はDaseinの〈Da〉(そこ)の、
 普遍体系には還元不可能な各自性(Je-meinigkeit)の
 寧ろ外にあること(ex-sistence)、存在の外部性に継承されている。
 ハイデガーは例えば次のように言う。

 哲学の根本問題としての存在は、存在者の類ではない。
 しかも、それはあらゆる存在者にかかわるものである。
 それの「普遍性」は類よりもなお高いところに求めなくてはならない。
 存在と存在構造とは、いかなる存在者をも超え、
 存在者のあらゆる存在的規定性をも超えたところに位する。
 存在は絶対的超越(das trenscendens schlechthin)である、
 現存在の存在の超越は、そのなかに
 もっとも根底的な個体化の可能性と必然性とが伏在しているかぎり、
 殊別的な超越である、trenscendens(超越)としての存在を
 開示することは、すべて、超越的認識である。
 現象学的真理(存在の開示態)は、
 veritas trenscendentalis(超越的真理)である。》
  (『存在と時間』序論第二章第七節C/細谷貞雄訳)

 超=類的な超越的真理として
 現存在の〈現〉(Da)に開示されるような絶対的超越が
 類や種に下属するような個体の殊別的な超越である
 とはどういうことか。

 スコラ哲学的にいえば
 「定義は最近類と種差(殊別的な差異)とによってなされる」
 (definitio fit per genus proximum et differentiam specificam)
 というのが定義の規則である。

 任意の存在者はこの定義
 (分類可能性であり存在的規定性でもある)によって
 普遍性(一般性)の中の特殊者として
 〈学/知〉の体系の中にその場処を得る。
 個体は体系内では最も殊別的なもの、その末端に位置する。
 そうすることにおいて個体は類的本質をその最小単位において分有する。
 いわばそれが個体にとっての存在的真理となる。

 しかし、存在はハイデガーの言う通り〈定義不可能なもの〉として
 この類的普遍性の体系である〈学/知〉をいわば外へとはみ出す。

 個別者である現存在は
 体系内では類的普遍(一般)に対する特殊として
 殊別的なものに過ぎない(定義の枠に収まる)が、
 定義不可能な存在によって定義不可能な何かを分有しつつ個体化している。

 この個体化のうちには、体系=分類によって
 もはやそれ以上細かく区切る(分割する)ことのできないもの、
 殊別的であってももはやそれ以上殊別化しえないような
 行き止まらせる別の積極的な力が働いている。

 個体化は、分類であるような特殊化とは違う
 別の積極的な作用によって起こっている。
 つまり個体である現存在は
 存在によって個体化(s'individualiser)しているのである。

 現存在はだから存在者としては類的普遍性に内在する特殊者だが、
 その存在においては別のところから存在を受け取っている。

 つまり現存在としては絶対的超越である存在によって
 直接その超越的個体性を受け取りつつ個体化しているのである。

 現存在はだから存在論的には類的普遍性を
 その存在において突き破るように超越して個性化している。

 現存在の超越性は物自体の超越性と同じで、
 認識論的には不可知であり、不可視である。

 無論、それはヘーゲル的な弁証法的理性によって
 内面化することもできないようなものである。
 すなわち通約不可能なもの、
 通性原理によって知ることのできないものである。

 〈存在は類ではない〉という
 アリストテレス以来の命題がここで別の意味を帯びてくる。

 それは個体の個別的存在は類に起源せず類に帰属せず、
 それよりも何かしら上位の高次な超越的なものに由来するのだということ、
 個体は〈種〉ではないということ、
 個体は類以上のものなのだということである。

 存在の類への還元不可能性とは
 とりもなおさず個体=現存在の類への還元不可能性の主張である。
 これがハイデガーのいう各自性の意味である。

 ハイデガーのいう存在は
 個別者の類の中の種とはなりえない個別的な存在のことである。
 〈現存在の存在の超越は、
  そのなかにもっとも根底的な個体化の
  可能性と必然性とが伏在している〉というとき、
 その根底的な個体化の可能性と必然性とを
 伏在させているような存在=超越とは、
 類的本質であるようなquidditasには還元せられえない別の形相的なもの、
 個体の個別化の本質のことを告げていると考えているのである。

 この発想はドゥンス・スコトゥスから来ている。
 
 ハイデガーの現存在の存在とは
 個別化の原理としての形相haecceitasのことである。