Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第一章 夜鬼逍遙 5-3 ヤマトノオロチ

 大和〔ヤマト〕朝廷と確かに言う。
 しかし、《大和》をヤマトと読むのには明らかに無理がある。
 それは《ダイワ》、つまり大いなる《和》の国だ。この《和》とは《倭》のことである。

 《倭》とは九州にあった国の名前、金印の発見からそれが分かっている。
 倭は、九州の地に《天孫降臨》した侵略者・神武天皇の国。
 おそらくそれが別の国ヤマトを征服したとき、大和をヤマトと読むようになったのだ。

 現在もなおその所在地が不明な邪馬台国、近畿説と九州説が有力だとはいえ、ことによるとそれは北陸にあったのかもしれない。

 もしヤマタノオロチの《ヤマタ》が《日本〔ヤマト〕》を訛ったものだとすると、では、残りの《オロチ》とはどういう意味なのか。
 百目鬼は或ることを不意に思い出して蒼白になる。
 実は、スサノオのオロチ退治の神話は、満州の契丹族にも同じものがあるという話を聞いたことがある。そこで《オロチ》とは、原住民オロチョンを指している。
 これを綜合すれば、ヤマタノオロチとはヤマトノオロチョン、紛れもなく、《日本原住民》を指す、侵略者側からの蔑称を意味するのだ。

 スサノオは土着の英雄神であるどころか、日本原住民への侵略者であり、出雲王朝がその手引きをしたことは、これで明白過ぎる程明白になった。オロチ退治とは侵略民族の英雄神による日本征服を称える、考えてみれば屈辱的な神話なのである。

 すると、やはり《日本国〔ひのもとのくに〕》そして、ヤマトタケルノミコトが国のまほろばと歌い称えた麗しの国ヤマトとは、九州でも畿内の大和でも出雲でもなく、日本原住民の象徴たるヤマタノオロチの住んでいた《高志》の中つ国、越中のトヤマのことだったのか!
 ジブリ-ル・レヴァナーが夢見たヤマトタケルの東北王朝は、実は元々北陸にこそ存在していたのかも知れない。だとしたら、草薙剣は、スサノオから高天原権力を経てヤマトタケルに移ったのではなく、元々ヤマトタケルのもので、それを出雲と高天原が逆に取り上げたものだったという彼の推測が裏書されるだろう。

 確かに北陸地方は、東北や山陰を凌ぎ、古くから開けていた土地。日本海に霸を唱える王朝の中心があったとすれば、確かに能登半島に守られた富山湾、あの日本一幻想的な蜃気楼とホタルイカの海域辺りは格好の土地かもしれない。

 おそらく、東北に逃れたまつろわぬ民・蝦夷の故郷は、北陸の地だったのだ。

 ヤマタノオロチがヤマトノオロチであり、本来神剣が北陸王朝の王権を象徴する呪物だったとミケランジェロは考えていたのではないか。
 そういえば、白山には剣ヶ峰があり、立山山頂からは飛騨の連峰の一つ剣岳を臨むことができる。
 剣についての古い信仰がここにあったとしても不思議ではないのだ。
 また、白山の神はヤマタノオロチを彷彿とさせる九頭龍でもある。

 そしてこの白山はその修験道の勢力の拡大を、石川・福井・岐阜の三つの《馬場〔ばんば〕》と呼ばれる登山口を拠点にして行っている。
 既に《馬場》という地名はミケランジェロに予告されたものだったのだ。間違いなく、ここババロンはミケランジェロの宗教の拠点として予め選ばれていたのに違いない。

 剣はスサノオによって出雲に奪われた。更に出雲は九州からやってきた天孫族に帰順し、神話にあるように、剣はスサノオからアマテラスに移る。だが、本来その神剣は誰のものだったのか。

 日本神話に唯一出てくるツクヨミの記述は、彼がウケモチノカミを切り殺す場面だ。
ツクヨミは初めから自分の剣を持つ神として出現している。ツクヨミの持つ八拳剣〔やつかのつるぎ〕が、天叢雲剣の元型だったのかもしれない。

 ミケランジェロは、また《天孫降臨》の地を目指していたという。これはまた彼が国津神などという出雲・スサノオ的幻想に惑わされていなかったことを示している。かといって、彼はアマテラスからニニギノミコトを経て神武天皇に至る血統を肯定した訳ではあるまい。彼らは北陸ではなく、明らかに九州に降臨した筈だからだ。

 実は天孫降臨は二度あったといわれているのだ。ニニギに先立ち、天磐船〔あめのいわふね〕に乗って降臨した先客がいた。ニギハヤヒ、天皇家より古いといわれる物部氏の祖神である。神話では河内の国に降りたということになっているが、恐らくミケランジェロはそのニギハヤヒを正当な王権とし、その降臨の地を北陸に求めたのに違いない。

 ニギハヤヒを天神の子と認め、正当なヤマト地方の支配者と考えていたナガスネヒコは神武天皇に抵抗する。
 そのとき彼がニギハヤヒの王権のシンボルとして示したものは天羽羽矢〔あめのははや〕だった。
 ところで壁画の月夜美之命も矢を持っている。あれは天羽羽矢を暗示しているのかもしれない。

 ナガスネヒコは神武天皇と争って敗れる。そしてその残党は東北に逃れたといわれている。
 東北、つまり確かに彼らは日本の《艮》に撤退しているのだ。
 東北は山の国、彼らは山に隠れ住む《隠忍〔おに〕》となった。
 鬼とは山人である。或いは、ヤマトとは元々《山人〔ヤマト〕》の意だったのかもしれない。

 大和朝廷は都を造営する際にも常に《艮》を鬼門として恐れた。
 確かにその方角には最もまつろわぬ敵が長く長く存在していたのである。