Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第一章 夜鬼逍遙 5-1 欺瞞の神性

 とうとう彼らはそれを見つけた。それは出口王仁三郎が床次真広〔とこなみまさひろ〕という門人に託したという遺書で、大本の跡を継いで《艮の金神》をかつぎ出そうとした人々、新たな団体の教祖や、予言に群がるオカルトライターや、われこそメシアと呼ばわる誇大妄想狂の類いにはさぞや甘く囁きかけてきたのに違いない、頻繁に引用されているとの但書がついていた。

今、大本に現はれし、変性女子はニセモノぢゃ、誠の女子があらはれて、やがて尻尾が見えるだろ、女子の身魂を立直し、根本改造しなくては、誠の道は何時までも、ひらくによしなし、さればとて是にまさりし候補者を、物色しても見当たらぬ。時節を待ちてゐたならば、何れ現はれ来るだろ、美濃か尾張の国の中、変性女子が知れたなら、もう大本も駄目だらう、前途を見越して尻からげ、一足お先に参りましょ、皆さん後からゆつくりと、目がさめたなら出て来なよ、盲千人のその中の、一人の目明きが気をつける、ああ惟神惟神〔かんながらかんながら〕、叶はんからたまらない、一人お先へ左様なら。

 最初の《変性女子》出口王仁三郎はスサノオの化身だった。だが、スサノオによっては《女子》の身魂なるものの根本的な立て直しはなされなかった。そこで第二の《変性女子》の出現が要請される。だが、それが何故、ツクヨミになるのか。

 王仁三郎のいう《ニセモノ》という表現も気になる。
 百目鬼は、携帯電脳〔サイバースレート〕の巻物〔スクロール〕を引っ掻き回したとき、《天岩戸開き》に関して、これを欺瞞であるとする大本の見解に遭遇していた。
 教祖・出口ナオの口を借りて、《艮の金神》は、岩戸に隠れ、それから出て来た女神アマテラスの欺瞞性を指摘している。

まえの天照大神宮どののおり、岩戸へおはいりになりたのを、だまして無理にひっぱり出して、この世は勇みたらよいものと、それから天の宇受女〔ウズメ〕どののうそが手柄となりて、この世がうそでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり。

 このナオのお筆先では欺瞞は岩戸の前で酒宴をした八百万〔やおよろず〕の神々に帰されており、アマテラスが偽物の神だとは直接言っていない。
 しかし、大本の主張する真の《天岩戸開き》から出てくる真の神が、それまでは押し込められている《艮の金神》であるとするなら、アマテラスはニセモノということにならざるを得ない筈だ。真意はそこにあるに違いない。
 殊更にアメノウズメの名前が言及されているのも気に掛かる。
 アメノウズメ――つまり天を開くどころか天を埋めるものと言わんばかりではないか。
 岩戸は開かれなかった。
 アマテラスとは偽の神で、アメノウズメが化けたものに過ぎない。
 真の神はまだ岩戸の裏に隠れている。

 データベースは、このナオのお筆先に関連して、大本の後、やはり《艮の金神》から出たといわれる岡本天明の『日月神示』の一節を引いている。

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。

 これはもっと露骨だ。実は《岩戸開き》ではなく、《岩戸閉め》だったという訳だ。
 
 大本の神話では艮の金神は、元々は国常立之命という偉い神だったが、余りに我が強く厳しい神だったために、八百万の神々に嫌われ、陰謀によって艮の鬼門に押し込められたという。
 それが有名な《天岩戸開き》の神話の陰に隠された真相であったとすれば、天皇家の先祖とされるアマテラス女神はニセモノ女神で、陰謀工作によって作られたいかがわしい神、その正体は卑しいアメノウズメということになる。