Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第一章 夜鬼逍遙 4-2 侵略神スサノオ

 皇室のアマテラス祭祀の本拠地となった伊勢神宮は、元々磯之宮といわれ、海人族の信仰の中心だった。草薙剣の熱田神宮の尾張氏、また、元伊勢である二大神社、籠神社吉佐宮や大江山の皇大神宮で知られ、出口ナオゆかりの地でもある丹波国の古代豪族丹波氏は、海人系の氏族として、天皇家以前にアマテルという男性神を祀ってきており、これがアマテラス太陽女神の元型ではないかと言われている。

 更にこのアマテルが太陽神ではなく、事によれば月の神だったのではないかと思われる節も実はあったのである。伊勢神宮の内宮・外宮にはそれぞれ別宮に月読が祀られている。また外宮の祭神は豊受大神〔トヨウケノオオカミ〕だが、江戸時代の国学者平田篤胤はこの正体は月読ではないかと言っている。権力を振りかざしたアマテラスが後から押し入ってきたので、本来の祭神だったツクヨミが脇に押しのけられた可能性が大きい。
 更に、伊勢自体が月を祭る神社が非常に多い土地なのだ。また、ツクヨミ系の神社は、社殿・御神体が船の形をしていることが多い。伊勢でアマテラスの御神体が入っているとされる御船代〔みふねしろ〕自体もそうなのだ。ことによると海人の神アマテルとはツクヨミの元型でもあったのかもしれないのである。確かに、海を照らすものとすれば太陽よりも月の方が相応しいかもしれない。

 「へえ」少年は興味深そうに声を漏らした。

 百目鬼は光電窓〔ディスプレイ〕を指差して続ける。
 
 「……これを読むと、どうもこの出口王仁三郎という人も、スサノオを日本古来の神とし、アマテラスを外からの侵略者と見なしていたような節があるが、当時の未熟な比較神話学ではそれも致し方なかったかもしれない。スサノオのヤマタノオロチ退治は、バビロニアの神マルドゥクのティアマート退治の話辺りが元型じゃないかとよく言われている。その他にも、ペルセウスのアンドロメダ救出とか、カナンのバールの海蛇ヤム退治とか、聖書のヤハウエのリヴァイアサン退治とか似た話は大陸側に色々あるんだ。寧ろ、スサノオこそ天孫族が連れてきた神で、土着の海蛇アマテルを退治したんじゃないかとさえ思える。アマテラスはヤマタノオロチだったのかもしれない。スサノオは、その生まれ方にしてから、嚔〔くしゃみ〕からだ。これは元は暴風神だった可能性がある。ところでバビロニアのマルドゥクはもっと古い時代のシュメールの暴風神エンリルに起源するそうなんだ。そう、それにインドの『リグ・ヴェーダ』にはサイクロンを神格化したルドラという暴風神がいる。このルドラが後にヒンドゥー教のシヴァになったという話を聞いたことがある。シヴァの聖獣は青牛、スサノオも祇園精舎の牛頭天王と同一視される。スサノオに肩入れした王仁三郎は、シヴァを天王星から飛来した暴力的な神と見なし、ミケランジェロが〈悪魔〉呼ばわりした程じゃないが、〈艮の金神〉に逆らう邪まな神の一人に数えている。だが、共に暴風神を起源にもつ荒らぶる神で牛にかかわりが深いシヴァとスサノオには非常によく似たところがあって、両者を同一視した方が自然な気がぼくはする。ミケランジェロもそう考えたのかもしれない。シヴァを〈悪魔〉だというミケランジェロがスサノオを〈悪魔〉と見なして退け、ツクヨミをかつぎ出した理由はそこらあたりにあるのかもしれない。それから、オオクニヌシについてだが、こっちはかなり後代にでっち上げられた神で、出雲土着であるどころか、畿内の神が出雲に持ち込まれたものらしいという説もある。オオクニヌシの国造りは海の彼方からやってきた外来神スクナヒコナによって補佐されたことになっているが、どうも寧ろこのスクナヒコナの方こそが日本土着の海の民の神で、アマテルと同じく、海蛇をそのご神体としていたらしいんだ。」

 スクナヒコナは天羅摩船〔アメノカガミノフネ〕に乗ってやってくる。《カガ》は大蛇を意味する古語カガチに由来する。この神はしかし出雲の土着神でもなかった。出雲の神は誰も彼の正体を知らなかったが、山田の案山子〔カカシ〕と呼ばれる久延毘古〔クエビコ〕だけがそれを知っていた。足で歩くことのできない一本足の神だが天下のことを悉く知るという神だ。この神もカガシ、つまり大蛇の神だったのだろうと考えられる。久延毘古というのは、皇祖ニニギに先立つニギハヤヒに関連する存在である。
 スクナヒコナの方も『先代旧事本紀』に従えば、物部氏の祖神であるニギハヤヒの従神だったという。ニギハヤヒは天之磐船〔あめのいわふね〕に乗って、《虚空見日本国》〔そらみつやまとのくに〕にやってくる。空飛ぶ船から東の方を見ると、夜明けの光の下に麗しい国が見えた。ニギハヤヒは、日のもとに見た国を、《日の本》と名付け、そこに降りて住み着く。日本の国名の由来だ。出雲の大国主が国を造る以前に、既に先客ニギハヤヒが日本を造り治めていたのである。スクナヒコナが乗って来た天羅摩船とは、このニギハヤヒの天之磐船だったのかも知れない。

 一方、スサノオの大陸起源説には定評がある。出雲に頻りに関連づけられている癖に、『出雲国風土記』には殆どスサノオについての記述はない。この神が日本にはない遊牧民文化と深い関連があることは夙に指摘され続けてきた。
 殊にヤマタノオロチ退治の説話の普遍性は、遠くヒッタイトの嵐の神ケルラシュによるイルルヤンカシュ竜退治にも見いだされる。竜を騙して酒を飲ませ、酔ったところを殺すところまでそっくりだ。
 また、スサノオはよく帝釈天の部下で疫病神の牛頭天王と同一と言われる。それに、天岩戸隠れの原因はスサノオが高天原で暴れて馬の逆剥け死体をアマテラスの機織女の部屋に投げ込んだからだ。ところが、『魏志倭人伝』の記述を信じるなら、邪馬台国には牛も馬もいなかった。

 牛頭天王の巨旦大王〔こたんだいおう〕殺しの伝説に由来する京都祇園の八坂神社や伊勢に残る疫病除け《蘇民将来孫之守》〔そみんしょうらいまごのまもり〕のカゴメの紋章は、ユダヤのシンボル《ダビデの楯》と同じ六芒星であることから、よく日ユ同祖論の引き合いに出され、『出エジプト記』におけるヤハウェの過越によるエジプト人殺しと門に戸口に塗った血の印で厄除けしたモーセの民の保護の逸話との関連までが云々される。牛頭人身の姿からはカナンのバールとの同一性が勘繰られてもいる。また仏教では、インドの祇園精舎の守護神でもある。そこまで遠く遡らなくても、牛頭天王は朝鮮半島の牛頭山の神ソシモリと同一である。《ソシモリ》の語は、『日本書紀』にも見られる。そこでは追放されたスサノオは出雲に渡る以前に新羅の曾尸茂梨〔そしもり〕の土地に天降る。このソシモリはソウルの古名ともいう。そこから出発して埴土の舟に乗り、出雲に行く。大蛇を斬ったのはその後のことなのだ。このことから明白に、スサノオは、ツングース系遊牧民のシャーマニズムの伝統を引く、韓国渡来の外来神なのだ。

 このようなスサノオを戴くとされる出雲を反大和朝廷の盟主として祭り上げること自体が、国家の捏造したイデオロギーによる情報操作でしかない。実際に最後まで抵抗していたのは東北の蝦夷であり、だからこそ征夷大将軍などというものが作られたのではないか。出雲のスサノオなどというまやかしを反体制の英雄として賛美するのは愚劣であるばかりか、東北に対して余りにも無礼というものだろう。