Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第一章 夜鬼逍遙 2-1 月の処女神

 最初は天女がそこに漂っているのかと思った。

 白くゆらゆらとする比礼〔ひれ〕の羽衣を纏ったその大柄な女神の顔は、青白い蛍光のオーラに包まれるかのように、確かに微かな精気を帯び、恰も、静謐と息づく白い冬の月が、この地底の闇のあり得ざる雲間を払って、突然その神聖幽玄な姿を顕し、その円い浄らかな鏡で百目鬼たちを優しく照らし出しているのかと思われた。

 切れ長の瞳は愁いと憐みに伏せられ、慈母の悲しみと、それでいて水を打つような断固とした威厳を湛え、地獄の怨霊悪鬼の動きを封じ、その暴れ狂う魂を鎮めて眠らせる神秘的な安らぎを見えぬ涙のように溢れ出させていた。
 通った鼻筋から口元にかけての線は無表情で、ふくよかに描かれた顔の稜線や耳の形の描き方からいっても、優れた仏画に現れる観音や虚空蔵菩薩の容貌を模しているには違いなかったが、百目鬼には、その口元に不可視の筆で描かれた微笑がどうしてもあると見えてしまう。それはアルカイックスマイルではない。
 ピエタに現れるような種類の微笑で、消えては現れ消えては現れして捉え処ないが、確かにそこにはそれがあった。高く聳え見下ろす超然とした者の微笑とは違う。天から降りてくる神の、愛する者の死を悼みつつ、冷たい唇に接吻しようとするような微笑。だが、ピエタと異なり、その微笑には広がりがあった。
 女神の視線の描き方のためかも知れない。伏目の瞳は瞑想的な色を帯び、こちらを見ているというより、女神自身の内側へと沈潜しているのに、そのことが却ってその視線にすべてを包みこみ抱擁するような不思議な広がりを与えている。

 それは明らかに月の女神だった。
 額に銀色の三日月の冠を被り、顔立ちこそ仏像のようだが、黒髪は長く垂れ、肩の辺りで一度だけ結ばれている。天女の羽衣は描かれているが、その手足を剥き出しにし、肩を大きく露出した短めの襞の多い衣装からしてギリシャ風だ。

 恐らく、彼女はアルテミス、月と狩猟の処女神なのに違いない。
 その首は細く、腕も肩も華奢、衣服の左肩がずれて片方の乳房がこぼれているが、その描き方は女神がまだ若い娘でもあることを表現している。
 こぼれた乳房の手前には、半ばそれを隠そうとするかのように左手で小さな竪琴を持ち、一方、心臓の真上辺りで、右手に長い弓と槍のように恐ろしく長い一本の矢を束ねて握りしめ、上方を右肩にもたせ掛けているが、それがまるで一本の杖でもあるかのようにもみえる。
 鋭い鏃は、水晶なのだろうか、透明な結晶体で出来ている。

 だが、このギリシャの月女神の両腕には、インド風の腕輪がそれぞれ三つ、不思議な形に宙に浮かび舞うようにして回っている。

 腰のベルトには、ペルシャやエジプトでよくみられるような両翼を広げた日輪のかたちがあるが、その日輪の円盤の中身がすげ変わっていて、陰と陽の巴が絡み合う、中国の易の太極のシンボルになっている。タオのマークだ。
 ただ、変わっているのは、恐らく陰を表す銀の巴が、陽を表す金の巴の真上に位置しており、百目鬼の不確かな記憶にのぼるタオのマークとはその回転の方向も逆になっているようにみえる。ちょうど鏡に映っているように。それは逆時計回りの方向に陰と陽が回転する形を表していた。

 そして、よく目を凝らして見ると、そのタオの円盤の両脇から両の翼の付根に掛けて、二匹の蛇がその鎌首を擡げていた。
 両蛇は円盤の下方で尻尾を絡み合わせており、そうして見ると、この女神のバックルは、短く切られた《ヘルメスの杖》〔カドウーシウス〕の形だったのだと分かる。古くから、知恵、死者の再生、そして医薬のシンボルとして知られる意味ありげな形。

 女神は座っている。短いスカートから裸の膝を出し、横座りに、脚を重ね崩した格好で腰掛け、その両脚は素足で、裸足の爪先まで真直に美しく伸ばし、なかなかに官能的だ。