Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] [承前]
第一章 夜鬼逍遙 1-3

 「別の名前?」
 「彼はとても風変わりな宗教を信じてたんです。それがみんな……いや、連中と相入れないところだった。連中の指示通りに絵を作ってたけど、彼にとってはどの絵も別の意味を持ってた。そこの青い怪物の秘密の名前は《シヴァ》、大自在天ともいうインドの神様らしいけど、彼にとっては悪魔だった……」
 「じゃあ、この二人の男の子は?」
 「捕まってる方が《イマヌエル》、戦っている方が《カイン》」
 「……カイン?」百目鬼は訝しんだ。「カインというのは、弟を殺した男の名前だぞ。伝説的な、人類最初の殺人者だ」
 「この絵ではカインは弟の方です。そして、人類最後の救世主の一人になる……」
 「おかしな話だな」百目鬼は言った。「最後の救世主というなら、イマヌエルの方だろう。聖書にもそう出てくる。どこだったかは忘れたけど、イマヌエルは救世主の名前だった筈だ。……ほら、この絵だって、イマヌエルの方に《神の子》の徴がある……」
 言いながら、百目鬼は新しいことに気がついた。イマヌエルの服に描かれた十字架と仔羊のマークのことを言おうとしていたのだが、もっとそれらしい《徴》を見つけたのである。イマヌエルの両手に赤い穴が空いているのだ。間違いない。これは、この子供が聖者であり、十字架のイエス・キリストと同一の存在であることを意味している。それが悪魔の手に落ちている。だから、この壁画のキリストはあんなに惨めでひどい苦しみ方をしているのか……。

 百目鬼は、今度はカインの手の方に注目する。何故ならカインにも神につけられた徴がある筈だからだ。誰もカインを傷つけることができないようにと神がつけた奇妙な保護の徴〔スティグマ〕。聖書ではその有名な《カインの徴》、言わば殺人者の聖痕ともいうべきものは額に烙印されたというが、この絵の少年カインの額は横貌ということもあってか徴らしきものは見えない。だとすれば……。

 確かに、それはあった。少年の両手の甲に、奇妙な星の徴がある。星の角の数は七つで、しかもどうやら逆さまに描かれているようだ。言わば、逆七芒星形……。

 魔術の徴としてよく知られている形象に、「ソロモンの印章」とか「晴明桔梗」とか言われる五芒星形がある。それを上下逆さにした逆五芒星は、悪魔の山羊の頭部を象徴するといい、明白に邪悪な目的に使われる黒魔術の徴だという記事を、百目鬼がそのために今ここに取材に来ているオカルト雑誌のバックナンバーで読んだ覚えがある。だとすれば、今目にしているこの逆七芒星形も同様な凶々しい意味を帯びた紋章であるに相違ない。

 そして、星の角の数が、五本でも六本でもなく、七本である理由も思い当たる節があった。

 『カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍』聖書の初めの方に出てくる印象的な文言が脳裏に蘇る。そうだ、神はカインに言った筈だ、誰でもカインを傷つけるものはその七倍の復讐を受ける-それが《カインの徴》の意味だ。殺人者を罰するどころか、保護と特権を与えている。理解しがたい箇所だ。

 「カインというのは、神と最初に契約を取り交わした人物です……」少年が言った。「彼は最初に神から選ばれた人物、最初の選民だったのです……」
 「《カインの徴》は罪人の徴、入墨だよ」百目鬼は言った。「古代人は罪というのは穢れで、それは触れると伝染するものだと考えていたに違いない。カインは弟アベルを殺して穢れた。だから、忌み嫌われ、触れることすら悍ましく、殺すにも値しない男にされたんだ」
 「でも、その穢れは、《力》だった筈です。ひとを恐れさせる者はひとを支配する。カインの名前は、『鍛冶屋』の他に、『所有者』を意味するそうです。力の徴の持ち主、つまり、王様ですよ。……ところでアベルの名前の方は、正確にはヘヴェル、『空虚』という意味だそうですよ。」

 百目鬼は唖然として少年を見つめた。まるで怪物を見るような視線で。

 「……つまり」少年は更に静かな権威を込めて続けた。「カインは『空虚』を滅ぼした。ちょうど神が天地創造の時、『渾沌』と『虚無』を殺したように。だから、カインは神に選ばれたのです」
 「しかし、それは詭弁だよ」
 「でも、神がカインを選んだことは『事実』でしょう? ――『事実』というのも変な言い方だけど」少年の唇に傲慢そうな薄ら嗤い。「じゃあ、こういうのはどうです。カインは農作物を捧げたが喜ばれず、アベルは動物を殺して捧げたので選ばれた。そこで、カインは動物よりも高等な生物を捧げることを思いつき……」
 「神が人身御供を求めたというのかい?」百目鬼は冷笑した。「でも、聖書には《汝殺すなかれ》と書いてある。他ならぬ神その人から人間に下った戒律だよ」
 「キリストの死は人身御供じゃないでしょうか」
 「ぼくはクリスチャンじゃないから、よくわかんないけど、尊い自己犠牲というんじゃないかな」
「聖書は自殺を禁止してます。キリストがやったことは罪にならないんですか」
 「でも、イエスは生き返ったそうだよ。神は罪とはしなかったんだろう」
 「アベルは生き返らなかった。ということは、神はカインの殺人を認めたことになる。それに、実際、人身御供なんてザラにあった訳でしょう? 違いますか、ミスタ百目鬼。アブラハムとイサクの話位、ぼくだって知ってます。神は人身御供を求めたじゃないですか。」
 「でも、あれは試みで、神は本気じゃなかったそうだよ」
 「代わりに羊を、というわけですか。他にも古代ユダヤ人には贖罪の山羊という風習があったそうですね。でも、羊や山羊が何か悪いことをしたというんですか? 悪いのは人間の方じゃないか。神が善意を持っていると考える方がおかしい。神は不正で、依怙贔屓をし、しばしば悪に味方する。そんな気紛れな奴が、血に飢えていないと言えますか。」少年は得意そうに力説した。「神が神であるのは、善であるからでも正義であるからでもない。強いからです。圧倒的に強くて、人間を殺す力があるからですよ。だから人間を殺したカインは、神にも等しい特別な存在なんです」
 「それは誰の入れ知恵だい? きみの言うその《ミケランェロ》のかね?」百目鬼は不快な気分を抑えながら尋ねた。「……それとも、きみ自身の考えかね?」
 「誰の考えでもありませんよ」少年は、悪びれたような皮肉な笑みを浮かべた。
 「きみはヘルマン・ヘッセを読んだことがあるかね」百目鬼はふと思いついたことがあって尋ねた。「『デミアン』という作品だ」
 「映画なら、ビデオで見ましたよ」
 「……映画?」
 「悪魔の子が出てくる映画でしょう? 六六六の話だ」少年は何か勘違いをしているようだ。「それって『ダミアン』の間違いじゃないですか?」
 「それは『オーメン』だろう」百目鬼は笑った。「でも、確かに『デミアン』と『ダミアン』は同じ名前だよ。訳語の違いに過ぎない。月の敬虔なネオ=マニ教徒の家庭では、子供が十歳になると、記念にヘッセの『デミアン』を贈る風習がある。」
 「マニ教って、悪魔を信じてるんですか?」
 「……いや、基本的には光と善と知恵の神を信じている。善悪二元論だ。だがかなり複雑な修正を受けている。光の神と闇の悪魔の戦いというのが基本だが、マニ教では、光の悪魔の存在も認めている。ルドルフ・シュタイナーの影響らしい。その光の悪魔の名前はルシファー。最後には退けなければならないが、人間はこの悪魔の誘惑を受けなければならない。ルシファーは自我を目覚めさせ、美と愛を人間に教える。そして、光の道を人に示して、神へと導く……だが、もし知恵がなく、思い上がって誠実さを失うなら、ルシファーは偽りの光となり、偽りの神の処に連れてゆくという」
 「光の悪魔?」
 「ルシファーというのは誘惑者だ。忠告者でもある。一説によると、真の光の神からの《試み》の人格化とも言われる。時として、光の神に反逆し、光と光の争いを引き起こす。だが、神以上に、闇の悪魔には敵対的だという。闇の悪魔がサタンだ。マニ教では、堕天使と悪魔は別の勢力と考えられるから、サタンとルシファーを同一視しない。寧ろ、敵対関係にあるものと考えている。きみの言う、『オーメン』のダミアンは闇の悪魔の子、六六六を意味する。ところで、ヘッセの『デミアン』に出てくる不思議な少年デミアンのことを、マニ教ではルシファーの子と見なしている。ルシファーにも特別な数値が割り当てられていた…… 幾つかあったが、その一つが確か七七七……」

 そこまで言いかけて、ふと黙りこむ。

 ……カインのための復讐が七倍なら、レメクのための復讐は七十七倍、ルシファーのための復讐は七百七十七倍……。

 奇妙な考えだ。百目鬼は自嘲しながら、だが、まだその全貌の見えない不吉で不可思議な暗示と無気味な符合に微かな戦慄を覚え始めていた。


1-4につづく