Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [承前]
第一章 夜鬼逍遙 1-2

 駅の構内は思いがけず、思ったより明るかった。照明器具が申し訳程度にだが設置されている-誰がそんな電気工事をしたのだろう? 壁のタイルはぼろぼろに剥がれ落ち、床にはゴミや恐ろしく古そうな新聞紙や雑誌の類いが散乱し、あちこちから漏水がボタボタ滴り落ちているというのに。照明器具や電気コードは明らかに最近のもので、この場処にはそぐわない。大昔の自動切符販売機は破壊の跡が凄まじい。多くは蓋を抉じ開けられ、回路や基盤を引摺り出され、その下には、疎らに散らばったコインが水溜りのなかに光っている。

 無人改札口を通るとき、割れたガラス越しに駅員室を覗きこむ。機器類の破損はここでもひどいが、つい最近まで人が住んでいた形跡がある。ボロボロのシュラフに薄汚いブランケット、容易に焚火の跡と分かる四角いブリキ罐。潰れた空罐の山の間に携帯蓄電ランプが転がされ、壁じゅうにポルノ写真が貼りつけられている。これも最近のものだと見ればわかる。机の上には広げられたノートがあり、よく見ると卓面じゅうが流れた蝋で白く固められている。蝋の流れ出した源を見て、百目鬼は顔を顰める。かなり太い蝋燭の突き出している台座はどう見ても本物の髑髏で、まるで今も蝋の涙を流しながら泣いている鬼の首のように見える。髑髏の口に大きなメダルのようなものが銜えられ、下顎の手前に金属の三日月が供えられている。髑髏の折れた角のような蝋燭の後ろの壁に聖母子のイコンと観音像が飾られている。それは明らかに奇妙な呪いか祈りがなされた跡のようだが、祭壇の余りの無気味さが、背後から見下ろす優しげなマリアの顔にも穏やかな観音菩薩の顔にも相応しくないように見える。

 百目鬼はこの祭壇の写真を撮った。

 プラットフォームに降りるともう真っ暗で、ガーゴイルグラスの赤外線補助暗視装置〔ノクトヴィジョンスコープ〕の限界を越えている。

 「何も見えないな」
 「今、電気をつけます」

 少年はペンライトを点け、電源ボックスを照らした。百目鬼はサングラスを外し、少年のすることを見物する。腰ベルトに付けた金属ポシェットから工具と差込式キーの沢山ぶらさがった鍵束を取り出し、呆れる程さっさと蓋を開けて中身を弄る。慣れた手付き。忽ち照明が蘇る。

 ほう、百目鬼は感嘆した――思ったより清潔じゃないか。

 実際プラットフォームにはゴミ一つ落ちていない。せいぜい床のあちこちに亀裂が走っている程度だ。水漏れやリノリウムの剥落はあるものの、異常に小綺麗なのだ。人気は無く、深閑としてはいるものの、ここが本当に廃墟の中なのだとは思われない。今もし乗客を満載したメトロが突然入線してきたとしてもおかしくはなかった。

 向こう側のホームの古ぼけた広告灯のなかにまで明かりが灯り、色褪せたウエディングドレスの娘がドライフラワーみたいに枯れた色調になってしまった赤い薔薇のブーケを振っているのが哀れを誘う。

 「こんなところにまで清掃局が来てくれているのかね」
「まさか」少年は口の端を歪めた。「ここは連中の聖地の一つなんですよ」
 「連中、というと?」
「あの、地上〔うえ〕の魔法陣(〔カメア〕も連中が造ったんですよ」
 「だからその《連中》というのは何なんだ? ――アンディーズか?」
 「アンディはこんなとこまで面倒見ちゃくれませんよ」少年は嗤った。「確かに清潔好きですけどね……」
 「空調〔エアコン〕も働いているみたいだな」
 「ええ、一年中、休みなしにね。ここは空気がすぐ悪くなるから……さ、行きましょう」少年は先に進みながら言った。その肩越しにホームの突き当たりを見遣ると、モスグリーンの防水布に包まれたかなり大きな物体があり……

 百目鬼は、突然、愕然と立ち竦む。

  まず視界に飛び込んできたのは、両腕を大きく広げた裸形の男の姿だった。その蒼白い餓鬼の如き痩躯には、腰に白い褌が一枚だけこびりつくように巻きついている。亜麻色の髪に茨の冠。鈎鼻と窶れた顔。苦悶を深く刻んだ眉間の縱皺に血のかすかな渓流が通り抜け、怯えた子供のような眸が何かを凝視している。口髭と顎髭の間の口も泣きじゃくる子供の口元そのまま、今にも嗚咽が聞こえてきそうだった。

 それは図像だった。その姿は壁面に等身大に描かれている。よく見ると男は十字架に掛かっており、両掌の中央を狙って太い釘が打ち込まれている。足元に大勢の絶望的に泣き叫ぶ群衆達。

 ――キリストだ、百目鬼にはやっと分かった。それは確かにキリストの絵に違いない。日本画の筆致、それともまたチベットの仏画を思わせるような線の運びで描かれているが、これは確かにキリストなのに違いない。すぐにそれがキリストの絵であると飲み込めなかったのは、しかし、絵が下手だったからではなかった。

 それどころか、現実の事物とは掛け離れた描線で作り出されていながら、強烈な迫真性をもって描かれたその強く歪んだ表情が、百目鬼をして一瞬それを実在物と錯視させるには十分な生々しさを持っていたのである。寧ろその生々しく描かれた苦しげな顔、神聖さも、天国への希望も、威厳も崇高さもなく、ただ哀れに泣き苦しんでいるだけの、虐まれる幼児そのままの無力さ、打ち棄てられた孤児のごとき絶望感、見ているこちらを引き摺りこみそうな程の恐怖に揉みくちゃに踏みにじられたその表情こそが、通常抱かれるキリストのイメージとは余りにも掛け離れていたからだった。

 そこにいるのは神人ではなかった。われわれと同じく、弱く、無様で、恐怖に打ちひしがれ、己れを見失ってしまうありふれた凡夫の磔刑図であり、崇高な犠牲も再生の予感も天国の開示もなく、男はただ十字架に、十字架が生え根付いている地上に、恐慌と混乱と悲鳴の波に揉まれのたうつ地上の愚かな群衆達の許に縛り付けられていた。

 百目鬼は美術には疎い方だったが、昔、新聞記者時代にヨーロッパを巡り歩いたとき、やはりキリストの磔刑図に強いショックを覚えたことがあった。題名は忘れてしまったが、作者の名前は覚えている-グリューネワルト。それは恐ろしい磔刑図で、キリストの躯は、細かい傷や刺さった棘や痣でズタズタにされていた。キリストは、瞑く目を閉じ、ガクリと首を項垂れ、その頭上に戴く茨冠が異常に大きく重そうにのしかかっており、そのずっしりとする重さが、十字架の男が死んでしまっていることを、拷問され、痛め付けられ、孤独なまま殺されてしまったことを雄弁に物語っていた。そこには復活の予感はなく、どっしりと重い死の厳粛なリアリティが圧倒的に居座っていた。キリストは死んだ。決定的に死んだのだとその絵は告げていた。

 だが、グリューネワルトのキリストには、まだしも偉大さが、崇高さが、そして力強さがあった。そこには確かに人類で最も偉大な男の死に様が写されていた。つい先程まで、男は生きていた。満身創痍の激痛に耐え、信じられぬ程の精神力で天を仰ぎ、強い眼光で姿なき神を見据えながら、はっきりとした語調で「神よ、神よ、何故私を見捨てるのか」と抗議していたのに違いない。男は確かに死んだが、それは偉大な死であり、十字架は巨大に聳え、男の栄光は、何もしなかった神のそれを追い抜いて、天高く差し昇る。男の偉大な戦いを厳粛な死さえもが讃えているように思われたものだった。

 しかし、今、百目鬼が目にしているのは、死の厳粛な重圧によって証明されてしまった復活の不可能性ではなく、それとは別種の仕方でのキリストからの神性剥奪の光景だ。キリストに襲い掛かっているのは、死ではなく、釘打たれた両手両足から来る激痛でもなく、絶望だった。十字架はキリストに死を齎すものというより、天から地に引き摺り降ろし、死をすら彼から剥ぎ取るもののように見える。寧ろ彼から自由を奪うためにだけ磔が行われたのだ。壁画のキリストは明らかに十字架から逃れようと渾身の力でもがき苦しんでおり、顔は天を向いておらず、左下方の地上にある何かに縛り付けられている。その顔には怒り、悲しみ、恐怖、絶望が所狭しと犇き、口は呻きとも叫びとも嗚咽ともつかぬ歪んだ形に悶えている。キリストは神を見ておらず、神がいるとさえ思っていない。だから、《エリ・エリ・ラマ・サバクタニ》というあの大いなる発言がなされる余地はこの壁画のどこにもないのだ。十字架は黒い闇に沈んでそれ自体もどす黒く塗り描かれ、足元に狂乱する群衆のパニックは、辿ると、昇る竜の躯のようにうねりながら、十字架を迂回して、キリストの頭上に大きく描かれる、崩れ、とぐろ巻く炎と、溢れる洪水に滅亡してゆく巨大な都市のなかに呑み込まれてゆく。それは世の終わりの光景だ。神はキリストを見捨て、キリストごと世界を滅亡させようとしているのか? 明らかに画家の意図はそこにあるようだ。

 崩壊する都市のなかには、いくつも百目鬼に見覚えのある建物の形や都市の形があり、既に現実に崩壊してしまったものもまだ崩壊していないものも含まれていた。バベルの塔に、ギザのピラミッドとスフィンクス、ホワイトハウスにエンパイアステートビル、メッカのカーバ神殿にインドのタージマハル廟、イェルサレムの聖墳墓教会、ヴェネチアとおぼしき円蓋の屋根、北京の紫禁城、かつて新宿の名物だったという東京都庁、それに現在のローマに威容を誇る地球最大の壮麗な建築物にして、現代サイバーバロック建築様式の最高傑作であるテトラグラマトン大聖堂……。それらが同一の崩壊する渦のなかに巻き込まれ、一個の破壊の渾沌が不可思議にも作り出した名付け得ぬ象徴的な巨大都市の幻影のなかに組み込まれてゆく……。見方によれば、逆に炎と洪水と落雷とパニックのなかから、こうした古今東西のすべての都市を一纏めに掻き集めた謎めいた集合体が今生まれようとしているところのようにも見えなくはなかった。それは確かに戦慄を覚える凄まじい破滅のスペクタクルだったが、この壁画を描いた名も知らぬ謎の画家の天才が、破滅のなかから立ち上がる何か全く別の荘厳華麗なものをその壁画の裏地に一瞬予感させてしまう-そんな危険な恍惚感がこの巨大な、天井にまで広がる《最後の審判絵巻》には漲り渡っていた。

 目をキリストに戻し、ふと、キリストの視線を辿ると、やや離れたところになお別の絵が描かれているのに気付く。

 それは、見るからに一匹の巨大な魔物だった。全身がやや銀光沢がかったオリエンタルブルーをしていて、大きな狂ったような丸い三つの目に、耳まで裂け、全てが象の牙のように長い歯列を剥き出した大口を開き、ベロリと長く舌を垂らしている。その貌はバリ島の異様な神や魔物の仮面に似ていたが、測り知れぬ邪悪さと冷酷さを湛えていた。口元からは汚い緑色の涎を垂らし、そこからその生物の乱れた臭い息遣いや薄気味の悪い嗤声が今にも聞こえてきそうだ。毛むくじゃらの爪の伸びた四本の腕は異常な程筋肉が発達しており、六本、七本、四本、三本の各々数の違った指で、一人の犠牲者を拿んでいた。それは見たところ男の子で、まだ死んでいるようには見えなかったが、体はぐったりしており、目を虚ろに見開いたまま、何が起こっているのか知覚していないのだろう、無表情に怪物の顔のあたりをぼんやり眺めている。怪物の足には鱗が生え、西洋のドラゴンを思わせるどっしりとした形をし、非常に長太く、それ自体大蛇であるような尻尾をのたくらせていた。その怪物の足に、取り縋るように、だがまた半ば戦いを挑むように、一人の白い服を着た男の子が掴みかかっていた。恐らく捕われの少年の兄弟に違いない、瓜二つのその小さな横貌に非常に思い詰めた表情が凍りついている。手には小さな白い柄のナイフを握っているが、その余りの小ささが少年の果敢な戦いの空しさと儚さを告げて哀れを誘った。少年は怪物から全く相手にすらされていなかった。

 そこで、ふと百目鬼は奇妙なことに気付いた。その戦いを挑んでいる少年の白い服の背に、黒い奇異な形が浮かんでいる。見るとそれは山羊の頭をした典型的な悪魔の象形で、この小さな英雄の涙ぐましい努力の姿には余り似つかわしいとは思われなかった。 一方、捕らわれの少年の方は、やはり同じような白い服を着て、背中を向けていたが、そこには金色の十字架を額に生やした仔羊のマークが描きこまれていた。

 「……そいつが、あなたのお捜しの化け物の片割れですよ」少年が背後から近づいてきていた。「ほら、あっちにもう一匹……。あっちでは、仏陀が菩提樹に縛られて、手も足も出せないでいる……」

 少年の指差す方向を見遣ると、かなり離れた処に、やはり化け物らしい、今度は、銀紫色をした朧ろな形が見えた。

 百目鬼は慌てて、今見たばかりのキリストと怪物、そして世界崩壊の巨大壁画をカメラに収める。背後で、少年の声が続いた。

 「……ぼくはこの壁画の作者を知ってます。本当の名前は誰も知らないけど、みんな彼をミケランジェロって呼んでいた。勿論、ひとりで描いたんじゃなくて、元絵を作ってみんなを指揮してただけだけど。流れ者の画描きで、とても薄汚いなりをしてたけど、いい人だった。みんな彼が大好きだったけど、仲間には入らなかった。ぼくと同じように。ぼくたちは仲良しで、彼は色々誰にも話さないでいたことをぼくにだけ打ち明けてくれた。例えば、この青い化け物の別の名前……」


1-3につづく