最も純粋な出来事は、形而上学的〈風〉である。それは〈間〉を創造しつつ、〈間〉を切り離すが、しかしその間隙は忽ちにして埋められ、その風姿は不可視なままである。

 風は引離しつつ癒合させる最も純粋な出来事である。それは何かを集めることはなく、何かを分離させることはなく、差異を形成することもない。

 風は何処からくるとも知れず、何処へ去るとも知れず通過する。それはすれ違いであり、本質的に消滅的である。風位というこの謎めいたものは全く捉えどころがない。

 風は純粋に起こるもの、純粋な出来事であるが、その定位を全くもたない。風には限定でき局在化できるような如何なる位置も無い。風は根本的にアトピック(根拠がなく、主題化しえない)である。しかし、それは玄関であり、幽玄である。

 風は挨拶する。挨拶は、本題とは無関係に切り離されていながら、それなしには本題に始まりをもたらさない。挨拶のなかで起こるのは、最も幽かな他者性の感知である。他者はこの他者性の風の挨拶のなかから顔を上げる。

 〈朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや〉

 『論語』の冒頭は遠方(杳か彼方)から来訪する他者を迎え入れることばから始まる。

 風は〈音ずれ〉である。

 かすかな外気の揺れを通して、風は書を読むものの顔を上げさせる。風は他者なき他者性の純粋な挨拶である。それは時としてその上に他者を乗せて来る。人であることもある、閃きであることもある、だが、〈誰もいない〉という〈空〉もまた風はその出来事の盆に載せて運んでくることもあるのだ。

 孤独ですらも、風によって外からもたらされる他者性の出来事なのである。

「II. 容器の破砕」に続く