Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第一章 夜鬼逍遙 6-3 六六六

 だが、どうしてなのか。
 もう十分地球は神の怒りに痛めつけられているではないか。

 戦いにはわれわれはもうすっかり疲れ切ってしまっている。
 カリスマももう懲り懲りだ。
 この上、何故まだ戦いが、或いは血生臭い革命が必要なのか。

 人々はそんなメシアをもう待ち望んでいない。

 優しく慰撫してくれる救世主、もう戦いや憎み合いの時代は終わったのだと宣言してくれる平和の女神を待ち望んでいる。

 第三次世界大戦の凄まじい悲劇を手痛い神への手切金とし、人々は終末論の呪いからの解放を切望し、宇宙時代の幕開けに必死の希望を見いだそうとして、古い時代からの禊〔みそぎ〕の意味も込め、二千年近くも続いて来た西暦を撤廃した。
 古い双魚宮時代〔ピシージアンエイジ〕からの決別と新しいミレニアムの幕開けに相応しい名称を求めて、新たに宝瓶暦の時代〔アクエリアンエイジ〕が始まった筈だった。

 ところが、新しい時代に相応しいそれこそ水瓶座生まれの救世主は現れてくれず、時代は悪夢のような逆行を引き起こした。
                           
 春分点〔エクイノックス〕は、歳差運動によって、牡羊座の0度から出発し、僅かずつ黄道十二獣帯〔ゾディアック〕の上を逆回りに一周する。
 この周期を《プラトン大年(マグヌス プラトニクス アンヌス)》といい、現在の天文学で計算すると約二万六千年という長い年月を要する。
 これを12等分した1プラトン月に当たるものが、いわゆる双魚宮時代、宝瓶宮時代といわれるときの「時代」で、ほぼ二千百五十年を要する期間である。

 キリスト紀元である旧西暦は双魚宮時代に該当し、現在は宝瓶宮時代の初期に当たる。

 現在のプラトン大年の始まり、そしてキリスト以前の白羊宮時代の開始は、古代バビロニア第一王朝の興隆とウル第三王朝滅亡の頃だと言われる。
 バビロニアの宮廷神官が、建国時期に合わせて、当時春分点のあった白羊宮を第一宮に定めたのはこの時である。
 以来、双魚宮、宝瓶宮と実際の春分点が移動しているにも拘わらず、白羊宮を第一宮とする伝統を占星術は保持してきた。
 因みにシュメール文明の発祥の時期はそれよりずっと古い巨蟹宮時代に遡る。
 それから、双子宮時代を経て、ほぼ金牛宮時代の終わり、象徴的にも《ウルの滅亡哀歌》を刻んだ粘土板を残し、月神ナンナルとその娘イナンナ(イシュタルの前身)を崇拝した謎の民族シュメールは歴史の砂漠の何処へともなく忽然と姿を消してしまう。
 このシュメールの歴史の舞台からの撤退から、今のプラトン大年の大いなる周期が始まったのだ。

 ところで、現在の太陽暦に基づく計算で約二万六千年といわれる1プラトン大年は、一年を三六〇日と数える太陰暦に戻し、一層プラトンの考えに近づけるなら、三万六千年に当たる。

 宇宙の更新が行われるとされるこの大周期の数三万六千は《完全数》と呼ばれ、宇宙を数からできていると信じた神秘主義者ピュタゴラスに端を発する奇妙な聖数信仰が現れてくる。
 これを日数に直すと、一二九六〇〇〇〇日に該当する。
 一二九六〇〇〇〇は《プラトン数》であり、『国家』に出てくる不思議な数値だ。

 巨大な数値を考えるので有名なインドで第二のユガ、《銀の時代》であるトレーター・ユガが、三千六百神年で一二九六〇〇〇年、中国でも北宋の邵雍の著書『皇極経世書』に出てくる一元が一二九六〇〇年と偶然の一致にしては出来過ぎている《一二九六》の符合現象が夙に指摘されてきた。

 これに加えて、『ダニエル書』末尾に述べられる《常供の生贄が取り下げられ、憎むべき荒らす者が据えられてから一二九〇日》も不気味な近似をみせていることに、かつて百目鬼は気付いたことがある。憎むべき荒らす者、つまり六六六の獣が支配する期間である。

 一二九六〇〇〇〇は、二一六の六万倍である。

 二一六は古来母胎に胎児が留まる最短日数と信じられてきた。
 また、二一六は六の三乗であり、ピュタゴラスの数秘術によると、六とは、男を意味する三と女を意味する二を掛けた数であることから、調和数とか結婚数とかいわれる。

 しかし、六の三乗とは、再び無気味な数を思い出させる。
 六六六、黙示録の獣の数字である。一二九六で六の四乗、六六六六である。

 占星術の開始を紀元とするなら、白羊宮時代と双魚宮時代を足して丁度二一六万日を意味する。この長大な時間のなかに六六六の獣が横たわっていたのだ。

 六六六の獣。しかし、この獣は二匹いるという。ババロンの鬼が二匹いるように。

 『ヨハネ黙示録』には、海から上ってくる獣と陸から上ってくる獣が登場する。

 海から上ってくる獣はリヴァイアサンである。
 イギリスの哲学者ホッブスはこの獣を絶対君主制国家の象徴として読み解き、同名の著書をものした。だが、百目鬼は、このリヴァイアサンを寧ろ《戦争》の象徴であると考えていた。国家が先か戦争が先かは、鶏と卵の関係に似ている。リヴァイアサンが《国家》を意味するならそれは《戦争》を必然的に意味するだろう。

 もう一方の獣はベヒーモスである。この獣は、海から上ってきた獣の偶像を作り、民衆にそれを拝ませる。この獣は《宗教》を意味する。
 そして、白羊宮の守護星はまさしく《戦争》を象徴する火星であり、双魚宮の守護星は、現在でこそ海王星になってはいるが、『黙示録』が書かれた時代では、まだ木星だった。木星は《宗教》を象徴しているのである。

 宝瓶宮時代の理念は、《戦争》と《宗教》というこの二つの獣からの自由を意味していた。
 それが万人の願いでもあった。
 その支配星・天王星は、何よりも《変化》を意味する。

 だが、現在はどうだろう。人間は何も変わっていないどころか、以前よりもずっと悪い《戦争》とずっとたちの悪い《宗教》にずっしりと支配されてしまっている。

 われわれはまだ黙示録の獣の暴威のただ中にいる。
 皮肉にも、宝瓶宮の本来の支配星が、天王星の存在を知らなかった時代の呪いが、まだ生きているのだ。それは土星、《試練》を意味する星なのだ。

 ミケランジェロは、この宝瓶宮の理念の挫折を嘲笑するかのように、そのシンボルである《人間》を殺し、その水瓶を砕いた。
 恰も黙示録の二匹の獣のように、白虎と金牛がそれを踏みにじっている。人間はまだ六六六の獣の支配下におかれるのだと言いたげだ。

 百目鬼は、再び壁画のアクタイオーンを見上げ、ふと呻きを漏らした。実に嫌なことに気付いたのだ。傍で携帯電脳〔サイバースレート〕を弄っていた少年が、その彼を怪訝な顔で見上げていた。