〈説話論的磁場〉――八〇年代のもっとも愚鈍で凡庸なこの流行語。
 それを語り出した不幸な人の責任を糾明することは、わたしはするまい。
 それほどに愚かしくひどい話はないからだ。
 敢えてその人の名を挙げぬこと、
 憎悪がその人に集中することを避けること、
 予めこのように醜悪に働きかけることなしに、この話は始められぬ。

 無論それは愛のためでもなければ媚のためでもない。
 弁護や擁護ほど馬鹿げていて醜悪な〈政治〉はないからである。
 醜悪な〈政治〉は、醜悪な黒焦げのスケープゴートをつくりだし、
 醜悪でそれこそ陳腐な、何も救えぬ〈神〉を作る。

 わたしはその人を一度も愛したことはないし、尊敬したこともない、
 そもそもどんな人であるのかさえ知らないし、知りたくもない。
 これ程〈不幸〉な関係はない。
 わたしはかつて一度もその人を崇めなかったように
 今後も決して崇めたくないだけである。

 このように言うわたしは冷酷である。
 彼らの〈神〉は彼らが勝手にその手にかけ濡衣を着せて葬ればいい。
 わたしは愛もなく知っている、
 その人が雪のように白く無垢であったに決まっているということを。
 冷酷でなければこのことをわたしは知ることすらできなかっただろう。

 しかし、限りもなく醜い〈彼ら〉のことをわたしは永遠に忘れないし、
 また永遠に軽蔑するだろうということだけは表明しておきたい。
 わたしはそいつらがどんな奴らであるのかをよく知っている。

 あの人の名をここに黙殺し、抹殺して免責しておくのは、
 下らぬ〈問題〉やばかげた〈神話〉を捏造するような
 むなしいことをわたしが軽蔑しているからではなく、
 断じて〈彼ら〉を、あの醜悪な〈最低の読者〉どもを
 免責したくないからである。

  どのような書物にも〈最後の読者〉というものはありえない。
 ただそう名乗りたがる痴呆症があるだけである。
 そして〈最低の読者〉というものはつねに非常に大勢いる。
 愛によってであれ憎悪によってであれ
 〈最低の読者〉という輩は盲目的である。
 そしてこの盲目さが〈彼ら〉の顔付きを一層みにくくしている。

 みにくさは常にきらめきを殺す。
 殺しえないきらめきが殺されることほどみにくいことはない。
 きらめきを殺してしまうのは〈うすよごれたもの〉である。
 うすぎたない手垢が書物の新鮮さになすりつけられる瞬間、
 わたしはいつも吐き気を覚える。
 書物が殺され、作者が殺されるのはそのときである。

 誰かが言ったっけ、
 雑誌が作家の特集を組むのはその作家が死んだときだと。
 追悼特集という美しい儀式によって逆にその作家が甦るときよりも前に、
 作家に訪れる死について、歪んだ唇が語る、
 みにくく引き歪んだ陳腐な格言だ。

 たしかにその顔立ちは〈知的〉であり、その格言もまた〈知的〉だ。
 しかし、これほど陳腐な言葉というものはない。
 陳腐な言葉にはきらめきというものが失せてしまっている。
 きらめきのぬけがらとなった言葉は常に冷淡で陳腐である。

 〈知〉とはこのきらめきを失った陳腐さ以外の何であろうか。
 それはとてもみにくい。きらめきを失ったことばはかがやく。
 このかがやきはまぼろしである。

 まぼろしに囚われたことばは、
 忘却の墓地のなかに入ることもできずに、
 うつろを漂いさまよう。
 口の端から口の端へとうろつき、とりつきまわって、
 取り憑かれた多くのうっとりとした顔を残忍にする。
 この残忍さは〈知的〉で〈皮肉〉なものである。

 皮肉屋どもは、きらめく涙をお涙頂戴だといって侮蔑し、
 残忍に歪むその知的な唇からかがやくことばを押し付ける。
 だが、そのかがやくことばこそお陀仏頂戴である。

 それこそが〈死語〉なのだ。
 この〈知的〉な人物は知らない、
 彼がそのときことばを殺してしまっているということを。
 ことばが殺される。書物が殺され、作者が殺されるのはそのときなのだ。

 〈最低の読者〉たちは、こうしたとてもみにくいことを
 ぞっとするほど平気な顔でする。彼らがとても〈知的〉になる瞬間である。
 しかしそれはとてもうそ寒い絶望的な瞬間である。

 ことばが、人間にとりつく。
 その〈知的〉な顔には〈知性〉が絶望的に欠乏している。
 そんなとき、人間は見るに堪えないほどみにくい。

 こうした瞬間のみにくさが一番切実に身に応えるのは、
 ほかならぬ自分の言葉が目の前で無遠慮に
 その〈知的〉な奴にかがやかしく奪い取られ、
 ぞっとするほど下劣な声で、残酷に、かよわいものに、
 襲い掛かるのをみるときだ。

 必ず、それはそのことばが本当は守ろうとしていたはずの
 かよわいものを虐殺するためにそのことばが用いられる
 信じられぬ瞬間であり、
 また、必ず、そのことばが本当に糾弾し禁止しようとしていたのは
 そういうみにくい残忍な奴であったはずなのに、
 その残忍な奴は無礼にもとてもうれしげに
 その厳しいことばをおのれの身に帯びて、
 信じがたいほど無神経に、本来彼が感じるべき筈である痛みを、
 他者に、かよわいものになすりつけ、
 相手が苦しむさまをみて悦に入るのである。

 こうしたとき、わたしは傷つく。
 限りもなく深く深く傷つけられるのに、
 わたしの代わりにそれをしてやった、
 素晴らしいことをしてやったと思い込んでいるその残忍な奴は、
 さぞかしわたしが喜んでいるだろうと信じて、
 心からそう信じ込んで、
 信じられぬほどにこやかで善良な微笑みを満面にたたえて、
 さあ誉めて下さいといわんばかりにわたしの方を振り返るのだ。

 この顔をわたしは直ちにその場でその下らぬ頭ごと
 打ち割りたいがまでに憎悪する。
 吐き気がする程そらうつくしく麗々しいそのイノセントな顔、
 その顔はわたしに〈罪〉を、濡衣を、いばらの冠をかぶせようとしている。
 その顔がわたしに近寄り、
 限りもなくうすぎたないキスをわたしの唇に押し付けようと迫ってくる。

 おぞましい。

 わたしはその顔から顔を背けずにはいられない。
 だがそのとき心はますます深く傷をえぐる毒の刃に抉られる。
 わたしは声が出ないのだ。

 目に見えない絞首刑の縄が
 ヌルヌルとした毒蛇の感触となってわたしの首に巻き付いている。
 その締め上げる力がわたしから声を奪うのだ。

 見よ、そのとき、わたしの傍らに悪魔が立つ。
 その者の残忍な微笑みを見よ。
 かぎりもなく醜悪なわたしの同伴者、
 わたしから離れ去ったことばが、そこでは悪霊に変わっている。

 わたしの心が破壊される。
 わたしをうつろにする。
 魅せられたる魂ほどみにくいものはない。