悪魔の顔を見てはならない。
 それと目を合わせてはならない。
 顔を背けねばならない。

 さもなければ、悪魔の貫き通す灼熱の視線は、レーザービームのようにあなたの魂をあなたの世界を燔き尽してしまうだろう。
 あなたの心は一瞬にして消え失せ、蒸発して、跡には悪魔の烙印めいた陰惨な人の焦跡しか残らないことだろう。

 それが「別人の痕跡」である。

 別人はあなたを全く報いも再生もない完全な全焼の生贄に変じてしまう。
 地に焼付いた黒い影、それは単に跡形もなく無に消えうせるというよりもひどいことだ。
 死後に黒焦げのシルエットが一つの石の表に永遠に焼付いて消えないというのは、〈恥〉が残るということだ。

  *  *  *

 「あなたはまるで別人のよう
 脅える瞳、震える声、蒼ざめた顔がわたしに向けて凍りつく。
 彼女がわたしを見失い、わたしが彼女を見失うとき、引き裂かれる大気を劈くようにして息切れ擦切れた凍える叫びがその謎の存在の奇妙な名を真空の闇に綴って告げ知らせる――〈別人〉、その不吉な轟く名。

 「別人のよう」とは一体どのようであるのか、わたしには分からない。
 そして恐らく彼女にも分からない。
 わたしも彼女も「別人」を全く知らない。
 わたしも彼女も「別人」を見たことはない。
 そして勿論、わたしも彼女も「別人」などであるわけはない。

 確かに別の意味でなら、わたしも彼女も他者に対して相手に対して相対的に別人である。
 それは別人でありうるというどころか別人でしかありえない。
 そしてその意味でなら、わたしは「まるで別人のよう」であるどころか、わたしはまさに「別人である」のだ。

 わたしは彼女とは別人であり、彼女はわたしとは別人である。
 わたしたちは互いに別人でしかありえない。
 それは「わたしたち」が何人に増えようと変わらない。
 人数が増える分だけ別人の数も増える。
 そしてこの相対的別人の人数は「わたしたち」の人数と同数である。

 では逆に「わたしたち」の人数を減らしてゆくとしたらどうだろう。
 一人ずつ人が減る度に別人も消えてゆく。
 しかし最後に一人、わたしだけが残るとき、そこに別人はいるといえるのだろうか、いないといえるのだろうか。

 普通なら、人がただ一人でいるときに、別人はいない筈である。
 別人は人が二人以上になったときにしか現れてはこない。
 そして別人の最小人数は二人である。
 二人の人間がいれば二人の別人がいる。
 別人には単数がありえない。それは常に複数的なのである。
 そしてこの意味でなら、別人は他者と言い換えても全く構わない観念であるだろう。

 しかし、それは本当にそうなのだろうか。

 最後に一人、わたしだけが残るときに、そこには自己だけがあって他者という二人目以降の実体的人間が数えられていないのだが、そのときに、他者なき別人というものを、考えることはできないだろうか。

 それは他者には最早還元できないような別人であるだろう。
 それはまた自己にも還元できないような別人であるだろう。
 自他関係のなかに現れてくる二人を最小数とする相対的別人の前に、他者に先立つ一人目の別人、絶対的別人がいるのではないだろうか。

 「まるで別人のよう」というときのその「別人」、特異な意味での「別人」、誰もそれであることができず、誰かであることのないままにただ端的に「別人」としか呼ばれ得ない、何かしらぞっとする響きをもつ「別人」とは実にそのもののことを指すのではないか。

 「あなたはまるで別人のよう」というときに、女はわたしがその「別人」であると言っていたのではない。
 彼女はその「別人」の様相をわたしに帰属させることができない。
 「まるで~のよう」という実体から遊離した比喩のかたちでしか、その「別人」については語れないし、またそれ以上、それに接近することはできない。

 彼女は困惑し、そして、そのことに怯える。
 彼女はわたしであるわたしを見ると同時に、わたしから微妙に遊離し剥離している幽霊めいた「別人」の様相を認めて戸惑う。
 その「別人」とわたしの間で恐らく彼女は踏み迷いながら、引き取り手のないその怪奇な暗黒の様相を持て余すのだ。
 そうやって彼女はわたしを見失い、そして彼女自身をも見失う。それはわたしも同じだ。

 「あなたはまるで別人のよう」という言葉は恐ろしい。
 それを言う彼女自身こそがわたしには「まるで別人のよう」に見えたのだ。
 そしてこのわたし自身が、得体の知れぬ、どうにも抗いがたい、何かヌルリとする気色の悪い力によって、有無を言わさず、その「まるで別人のよう」と言われているその「別人」に触られ、掴まれ、消されて、それにすっかり置き換えられるような身の凍るような恐怖を感じたのだ。