はじめまして。
 今は治ってますが、僕も十三年間ほど離人症を患っていました。
 本格的にひどくなったのは、
 愛する女性(そのうち一人は離人症でした)が相次いで亡くなった後で、
 そのとき全世界が死んでしまったような状態になりました。
 鬱も出てきてしまったのです。
 それでもうたまらなくなって、医者に行きました。

 医者に「死にたいと思うことはないか?」と尋ねられたとき
 僕は「いいえ、死にたいとは思わないです。
    そう思わないのは、
    僕がもう死んでしまっているからなのだと思います。
    そして、死んでいる僕は死んでいたいと思っていません。
    僕は生きたい、生き返りたいと思っているのです」と答えました。

 でも、それから治るまでの二、三年間が一番辛く苦しかった。
 医者にはそう答えたものの、自殺するという考えが
 繰り返し繰り返し頭を擡げて振り払えなくなっていました。
 そんな僕が治ったのは、愛を知ったから、
 そして愛を知って、心が生きていることを知ったからです。
 
 僕は離人症になって全てが死んでしまったように思っていました。

 恋人が死んだとき、その死の様相は息づまるほどひどくなり、
 僕も世界もあらゆるものが黒い虚無に呑まれて
 消えていくように感じられていた。
 
 でも、心は生きていました。
 
 恋人は死んでしまったけれど、その人を愛する心は死ななかった。

 それが死なないから、僕は「悲しい」と感じることができるのだ。
 だとすれば、この悲しみのなかに彼女たちはまだ生きている、

 そして、僕もまた、まだ生きている、

 いや、生きていたのだ。

 そう分かったとき、涙が溢れ出してきました。

 そして分かりました。
 涙が溢れ出すのは、心が溢れ出すからなのだと。

 こうして、僕は死から蘇りました。
 そこには美しい現実がありました。
 それは、その全てにわたって僕の心が溢れて覆っている
 恐ろしい現実であるのかもしれません。
 でも、僕はそれを敢えて「美しい現実」と呼ぶことに決めました。

 でも、その後、現在にいたるまで、もう二度と離人症の灰色のヴェールが
 世界を覆わなくなったのかというと本当はそうではありません。

 離人症状は今でも時々起こります。
 たぶん、死ぬまでそれが僕の世界から消えてなくなることはないでしょう。

 でも、それでも、僕は「治った」のだと思ってます。
 それは「治った」と決めたからなのかもしれませんが。

 そして、「治った」ときに分かったことがあります。
 きっと、病んでいたのは僕ではなく、本当は世界の方が病んでいたし、
 そして今も病んでいるのだ、と。

 そして、それを認めることのほうが、僕には、離人症より辛かったし、
 また、きつかったです。

 今、離人症を抱えている皆さん、
 離人症はとても厄介でむずかしい病気ですけれど
 敗れないでください。生きていきましょう。

 たとえ意識が死の色に染まっても、それでも、
 不死なる心はあなたのなかに激しく燃えて、
 それは必ず生きており、そして必ずいつの日か蘇るのですから。