僕に関する報告(1994年頃の自己分析の記録より)[承前]

 だが、東京への転校は、精神衛生に悪いものだった。
 級友たちの言葉遣いは信じられぬ程荒っぽく
 、町も校舎も暗く、空の下に惨めに潰れこんでいるかに見えた。

 僕は適応拒否を起こした。
 次第に離人症状を起こすようになり、
 周囲のものが幽霊のように実在を失った。
 最高の陶酔状態から最低の自失状態へと墜落したようなものだ。
 それでも、心にはまだ力があったので、
 存在を輝かせることは暫くは可能だった。

 だが、あるとき、決定的に悪いことが起きた。

 事物のリアリティーが薄いとか、
 自分の鏡に映る貌が何となくよそよそしく
 他人のように見える程度であれば、
 そのような幽霊的な錯覚はまだ意志の力で振り切ることもできたし、
 存在を呼び戻し、意識と自我をしっかりさせることはまだ可能だった。

 僕は運動の嫌いな少年だったが、
 それでも、官能や肉体を信じていたし、愛してもいた。
 ニーチェ的な価値転倒の思考に情熱を上げてはいたが、
 僕は世界には究極的に意味があり、美があることを、
 そして歓喜と肯定と光の無限こそ究極の真実であることを
 信じていたのだった。
 だがこういった初期コリン・ウィルソン的な呑気な信念はあるとき、
 根源的に破壊されてしまった。

 存在が幽霊どころではなく、化物と化してしまったのだ。

 僕はその恐るべき崩壊に襲われたとき、
 中学生の分際で既にサルトルの『嘔吐』は読んでいたし、
 ハイデガーの『存在と時間』も生半可ながら目は通していた。
 だが知識武装は、強烈な離人感のメールシュトレームの渦の前には
 ひとたまりもなかった。

 僕はそのとき叫びを上げさえしなかった。
 意識は限りなく明晰で、
 あれ程明晰な状態はないといってよいほどである。
 僕は冷静ですらあった。
 そのとき、
 そう、それは修学旅行の帰りの新幹線のなかで始まったのだが、
 僕は青ざめていたにはいたが、
 級友とずっとしゃべり続けていることすらできたのである。

 だが、それにもかかわらず、僕は恐怖を感じ続けていた。
 一切が、馬鹿げたものからそれ以下のものへ、
 永久の無機質へと分解してゆく。
 僕の身に起こっていたのは、
 サルトルの小説で読んだことのあるあれらしいということは
 分かっていたのだが、
 サルトルの体験などよりもずっとずっとひどいものだった。

 恐るべき存在の深淵に奇妙な転落を起こしながら、
 僕は、サルトルやハイデガーが存在の絶望的な感覚において
 どれほど浅薄でお気楽な連中に過ぎないかが、
 ものの数分で分かってしまった。

 支えてくれる大地はもう二度とありえない。
 歓喜の宇宙は頭上で永遠に死滅してしまった――そんなものは幻想だ。
 自我は廃墟となった。

 サルトルやハイデガーの世界というのは要するに、
 投げ出された自分を
 堅固な実存の大地が受けとめてくれるという
 感性の上にできあがっている。
 被投性はどこかで実存の堅固さに突き当たって止まるのだ。

 だがそんな大地などないのだとすれば、
 投げ出された自己は存在の目眩の深淵を無限に落下し、
 永久に自己に戻ることはできなくなる。

 これは際限の無い頽落を、
 自己の一人称が、
 世人の非人称性に無限に拡散崩壊していくということを意味する。

 つまり存在は絶対に《我あり》には辿りつかないのだ。
 また非人称性への拡散は
 世人の人間的な余りに人間的な馬鹿馬鹿しさの次元に止まらず、
 もっとひどい下等なものへ、存在の無限の吐き気を催す空虚さへ、
 言語のもっとも下等な無機的な記号の残骸の次元へと
 止まるところを知らず退化してゆくのだ。

 サルトルのいう純粋な意識の無の清らかさなど
 愚劣極まりない蒙昧思想だった。
 一旦あんなものを見てしまったなら、
 たかが歌を聞いただけで希望を取り戻した
 太平楽なロカンタンのようには、
 決して二度と人間的な世界に帰ることなどできはしない。

 ハイデガーは気付け薬に《死》への先駆的覚悟性を薦める点
 でサルトルのような薮睨みの薮医者よりはましな男だったが、
 英雄的な《死》の観念でビシッとやれば根性が直ると称するような
 体育会的ファシストのシゴキ屋でしかなかった。
 そんな虚仮威しの《死》の悲壮さで
 あの恐るべき存在がビビってくれるものではない。

 僕は知識は余りなかったけれども、
 中学生の言葉で確かにそう感じていた。

 そしてその後、この見解はやはり概ね間違いではないことを確認した。

 ハイデガーの《死》は、
 非人称性へと拡散したゾルゲ(関心/不安)を
 自分自身の固有性へと引き戻してくれるものである。

 自己同一性は先取りされた己れの死によって保証される。
 ゾルゲは自分自身に死の鏡の力を借りて振り向き、
 己れの一人称《我》を確認してほっとする。

 だがそんな死の不安のなかの安堵は僕にはありえないことに思えた。
 振り返って見たそこには、誰もいない。
 《我》ではなく、不気味な黒い虚ろな穴が
 ぽっかり空いているだけであるように実感された。

 当時僕は、それを《無人称のゾルゲ》と名付けていた。
 《非人称》などという洒落た文法用語など僕はまだ知らなかった。
 《無人称》という言い方には
 《非人称》というよりも生々しい実感が籠もっている。
 その不気味な黒さも深く、ぞっとさせる否定的な感触も一層冷たい。

 僕が感じたのは、それが、単に形式的な人称表現に過ぎない
 という意味での《非人称》とは違って、
 一人称以前の、そしてその根源的な不可能性を告知する
 化け物じみた《無》が、
 《存在》を永久に占領して、
 顔のない笑いで不気味に笑い続けているというような
 グロテスクな事態を意味していた。

 僕がそこまでひどいものを洞察しえたのは、
 実はその恐怖感が続いている間じゅう、
 それでもずっと級友としゃべり続けていたからである。
 舌は奇妙な剥離感を伴う麻痺のなかで、
 まるで別人に乗り移られたかのように、自動運動を起こしていた。

 黙ることの奇妙な不可能性がそこにはあった。
 思考と言語の恐ろしい剥離が起こり、
 言葉はずれ、人称は脱臼を起こし、
 ありとあらゆるものの実体が
 その一番内密な核心のところで
 それ自身との凄まじいすれ違いを起こし、
 悪夢の如くに現実性の底の底まで毀損され尽くしていく。
 その感情は無残だった。
 もう二度と立ち上がれないという程に無残だった。

 僕の短い実存主義者時代はたった三年足らずで崩壊した。

 神が死に、人間が死に、自我が死に、
 意味が死に、言語が死に、存在が死に、
 そして、死が死んでしまった。

 崩壊は徹底的に僕を打ちのめした。
 僕の離人症は決して治らないだろうと、
 僕は絶望的に覚悟しなければならなかった。
 それどころか、いつかきっと僕は狂うに違いない。
 分裂症は必然的なのだ。誰に治せるというのか? 
 真実を治せる医者がいるというのか。

 そう、僕の離人症は治らないのではない。
 そうではなく、これは全然病気ではないのだと僕は痛切に感じていた。
 狂っているのは世界であり、正常な人間の方なのだ。
 僕だけが正気だった。離人症こそが実存の真相だったのである。

 狂った世界で狂いもせずに生きている奴を正気というなら、
 そんなものは白痴というべきだろう。
 僕は白痴になってまで生きたいとは思わなかった。
 だがこのままで持ちこたえられるとも思えなかった。

 僕は当時十五歳だった。
 僕の身に起こったことを誰も知らず、
 誰にもそれを伝えることなど不可能だった。

 決して誰にも分からないであろう。
 心配してくれたとしても、その人には何もできず、
 とんちんかんな愚行以外の何も、この世界ではなされ得ないのだと、
 僕は絶望的に悟り切ってしまっていた。

 それは絶対的な孤独だった。暗澹たる寂寥であった。
 そんな中で、漠然と思ったのである。
 僕は十六歳になったら死ぬだろう、ナルシスのように。

 けれども己れに見とれ焦がれて死ぬのではなく、
 己れの姿は化け物であるということに耐えられなくなって死ぬのだと。

 自分自身を知る者は死ななければならない。

 だが、僕はもう死んでしまっていた。
 既に死んでしまった人間がどうやって死ぬというのか。

 当時の僕は外見的には、
 それこそナルシスの如き中性的な美少年であった。
 何の衒いもなくそう記すことができる。
 けれども美貌など何の価値もありはしない。
 どんなに美しいものであろうと存在する限り化け物である、
 存在が根源的な醜悪さだったのだ。
 僕は鏡に映った己れの美しい顔を
 まるで吐き気を催す妖怪でも眺めるように
 蔑みと屈辱と恐怖で目茶苦茶になった思いで、
 だが冷静に見下ろしていた。

 《無人称のゾルゲ》による存在感覚上の崩壊の嵐は、
 たった一夜で過ぎ去った。
 後にはいつもの冷たく明晰な離人感だけが単調に続いた。

 けれども、以前とはその意味がもう違ってしまっていた。
 かつて硝子の窮屈な檻だったその恐ろしい場処が、
 悪夢のごとき真の現実から身を守る鎧となり、
 辛くても耐え忍ばねばならぬ隠れ処となった。

 ときどき以前のように恍惚感を弄ぶこともあったが、
 それはもう二度と以前のような真実の輝きをもつことはなかった。
 自分で自分を騙すための欺瞞が、
 つまり《悟り》というものの正体だったのだ
 という暗い悟りがいつも払いがたく付き纏っていた。

 僕はその離人感の檻のなかで、
 だが、それでも、存在からほうり出された
 宙ぶらりんの意識や思考のなかに、
 それでもささやかな《我あり》の足場を捜し求めようと
 悪戦苦闘し始めた。僕は明証を欲した。

 大学生になるまで待ってなどいられなかった。
 明日には狂うかもしれない、死ぬかもしれないという
 恐怖に脅える人間に将来のことを考えることなど不可能である。
 偉い哲学者になってやろうなどという下らぬ野心など抱く暇はなかった。
 そんなものなど《無人称のゾルゲ》にでも食わしておけばいいのだ。

 当時の僕にとって、哲学は死活問題として
 飯を食うことよりも重大なことだった。
 生活する前にまず何とかして存在しなければならぬ。

 だが神なきデカルトにコギトの明証など不可能であることを
 僕は直ちに思い知らされた。
 パスカルは無限の空間の永遠の沈黙に恐怖を感じることのできる
 心性の持ち主として共感できるけれども、
 考える葦に成り下がって平気でいられる無神経さと、
 デカルトを無神論者呼ばわりする粗暴野蛮な精神には、
 僕の一層繊細な精神は全く辟易させられた。

 コギト・エルゴ・スムは、
 デカルトが立派に神を信じていたからやっと可能になった確信なのだ。
 コギトは神なしでは空転して非人称化の無限に落ち込むだけであり、
 決してスムには辿りつかない宿命を持っていた。
 懐疑は神の介入によって止む。

 けれども、一旦、神なき《存在》という
 ゲテモノと格闘した僕の懐疑は、
 まさに《僕が考える》というより、
 《それが勝手に考える》といったグロテスクな様相で
 悪魔のように自己展開しはじめた。

 それで分かったのは、
 《存在》という無限の怪物を相手にすると
 《論理》は忽ち根源的にボロを出し、
 ろくでもない代物であるという
 その無残でいかがわしい本性を暴露し始めるということだった。

 自同律・矛盾律・排中律の三位一体の明証性も、
 存在の息吹を受けた僕の懐疑の嵐によって忽ち転覆してしまった。
 それが全く人間の妄想の産物に過ぎないことを離人症は教えてくれた。

 それは要するにザルで水を掬い取ろうとする
 白痴的な行動に人を駆り立てるに過ぎない。
 論理が全くの無能であることを僕は悟った。

 論理が駄目になってしまったとき、
 否定はそれ自身無限化することになる。
 最後の明証性と思われた、
 否定の否定は肯定になるから、絶対的否定は不可能だ
 という《懐疑論の自己矛盾》のドグマも、
 僕に明証の足場を確保してはくれなかった。

 存在は僕を論理の外部にまで完全に放逐してしまった。
 否定は自らを否定してもその否定性を失わず、
 無限に己れ自身に潰れ込みながら、
 いわば《否のブラックホール》と化してしまった。

 こうして、僕は存在の深淵の手前で
 呆然とする他になくなってしまったのだ。
 唯一共感できるのはカント的な不可知論だけだった。
 物自体は巨大な暗黒であり、
 神なきカントでもあった僕は、
 それを眺めていて本当に死にたい気分になった。

 僕は暗澹たる気分で、ドストエフスキーの『悪霊』を読んだ。
 キリーロフに、
 《自分の信じるものを信じるとは信じず、
  また、自分の信じないものを信じないとは信じない》人物と
 評されるスタヴローギンは、
 明晰な意識のまま、気違いじみた懐疑にさいなまれ、
 何処にも身の置き場をなくして、醜悪な縊死を遂げる。

 そのひどい気分がよく分かる気がし、
 スタヴローギンは自分だと思った。身につまされる思いだった。

 だが、それでも生きてこられたのは
 高校に入るとすぐに出会った埴谷雄高の文学のお陰だった。

 論理以外の思考形式がある筈だとか、
 実体に根源的に矛盾する《虚体》だとか、
 また《自同律の不快》だとかいう、その魔術的な語法は、
 まさに地獄に仏といった観で僕の命を救ったのだ。

 不可能性そのものを己れの思考の発条にして生き延びること。
 《不可能性の文学》の啓示である。